神学

父からか、父と子からか、それが問題だ――Joseph P. Farrell trans."The Mystagogy of the Holy Spirit"★★★★★

フィリオクエ論争において、東方教会側の立場を代表する聖フォティオスの論文の翻訳。 ファレルの解説が素晴らしい。西方教会(ラテン教会)への、アウグスティヌスを介したギリシャ的思考(ネオ・プラトニズム)の抜きがたい影響が、フィリオクエ付加に至る…

『岩波 キリスト教辞典』は使えないというお話

落合仁司ってネストリオス異端じゃね?って言ったので、ネストリオスについて書こうかと『岩波 キリスト教辞典』を紐解いてみて、ちと疑問がわいた。まずその記事を見てみよう。 聖母マリアの呼称を、キリストの神性を強調するアポリナリオス主義を助長する…

数理神学は形而上学的神学に勝利したか

落合仁司は『数理神学を学ぶ人のために』で数理神学と形而上学的神学を対比してこう言う。 形而上学的神学は神の愛を否定した。形而上学的神学を代表する一人であるカンタベリーのアンセルムスはこう言う。「苦難に対する共苦の感情にまったく動かされないと…

落合仁司の数理神学を使って奇妙な定理を証明してみる

落合仁司は言う。 数理神学の言語である数学言語は、近代自然神学すなわち近代自然科学の言語でもあるので、それに完敗した伝統的自然神学したがって伝統的組織神学の言語である哲学言語に比べ、遥かに広大な普遍性ときわめて強靭な反証可能性あるいは論証力…

落合仁司は「十字架の神学」をほんとうに理解しているのか

落合仁司は『数理神学を学ぶ人のために』で、これまで偏愛しつづけたパラミズムを捨てて「十字架の神学」を数理神学の看板に掲げたが、実際の所、彼は「十字架の神学」をどうとらえているのか。落合仁司自身の言葉を引こう。 神の受難、神の共苦、神の弱さの…

数理神学の正体

というわけで、『数理神学を学ぶ人のために』文献リストにたよって、ユルゲン・モルトマン『十字架につけられた神』を入手し、現在読書中。 ちょっと気になった箇所。 神の神性(Gottheit)は、十字架の逆説においてのみ露わになるのである。そのとき、イエ…

数理神学という知の欺瞞――落合仁司『数理神学を学ぶ人のために』★

ようやく再投稿できるようになったので、文章を改正してアップ成功。 無限集合論は神学に適用できるという発想の下、落合仁司は数々の同工異曲の本を上梓しているが、これはその最新版。 これまで落合仁司は、正教会神学やパラミズムを持ち上げていたが、こ…

落合仁司はなぜパラミズムを放棄したのか

数理神学最新版であり数理神学原論とも呼べる『数理神学を学ぶ人のために』を一読して少々不審に思ったことは、『地中海の無限者』以来、あれほど偏愛していたパラミズムがほとんど影を潜めていることだ。軽く触れてはいるが「パラミズムはキリスト教の教義…

数理神学という虚妄――落合仁司『数理神学を学ぶ人のために』★

無限集合論は神学に適用できるという発想の下、落合仁司は数々の同工異曲の本を上梓しているが、これはその最新版。 これまで正教会神学やパラミズムを持ち上げていた落合仁司だが、なぜかこの書では軽く触れるのみである(文献表には正教会神学者の本は一切…

神学を学びたい人が絶対に読んではいけない本――落合仁司『ギリシャ正教 無限の神』★

三位一体(三一性)のような神学の命題は、無限集合論を使って表現できる。表現できるばかりでなく証明できる。こうしたアイデアから、落合仁司は「数理神学」の名の下、同工異曲の本を次々に出版した。これはその中の一冊。 一見、論理的、学術的に書かれて…

神学と数学の類似性

「存在論日記」さんが「カトリックの擁護」記事に触れていることに気づいた。 http://sonzai.org/2007/11.htm 神学と数学との間には類似性があると私は考えている。 神学は、「神は存在する」という命題を含んでいる。それは反証可能性を持たない命題であり…

「無原罪の御宿り」リベンジ

「無原罪の御宿り」については、当ブログでほぼ一年前に書いたことがあるが、それから学習が進み、教義理解の深度と精度が多少増したので、もう一度一から書きはじめた。http://defencecatho.seesaa.netこうやって一年ごとに更新するのだろうかね(笑とりあ…

聖人の教皇はいるが教皇=聖人というわけではない

「教皇不可謬」誤解の典型例なのでひろっておく。「日本キリスト教団 須賀川教会のホームページ」より。 http://www1.ocn.ne.jp/~sukagawa/sukagawa.files/sekkyou.files/2002/sek20609.htm カトリック教会とプロテスタント教会の解釈が別れる代表的な聖書箇…

ギザなもの――属性の交用

「つまり、妹属性と眼鏡属性は相互に交換可能ってことだろ?」 「違うだろ」

James Likoudis, Kenneth D. Whitehead "The Pope, the Council, and the Mass: Answers to Questions the "Traditionalists" Have Asked"

帰宅したところ届いていたので未読だが、紹介だけ。この本はいずれ折を見て訳す予定。いわゆる「伝統主義者」による第二バチカン公会議後の改革に対する批判を、FAQ方式で25の設問に章分けして論じた書。以前紹介した"More Catholic than the Pope"に比べ…

まさに「鋼の錬金術師」――Jean Borella"The Secret of the Christian Way"★★★★★

真のリアリズムとしての神秘主義を地でいくフランスの現代神学者Borellaの論考を、聖ボナヴェントゥラの『魂の神への道程』の七階梯に従ってまとめた小著。まったく無名ながら、数々の卓見に満ち、中身が濃い。いわゆる「グノーシズム」は近代の「発明」であ…

Joseph Cardinal Ratzinger"The Spirit of the Liturgy"★★★

原文のせいか翻訳のせいか、非常に読みやすかった。逆に言えば、内容的には想定の範囲内であった。旧約・新約の連続性、創造と啓示の連続性、堕罪と贖罪の連続性など、キリスト論的総合の見地から、さまざまな角度で典礼を取り扱っているので、ちょっとした…

伝統原理主義(聖ピオ十世会)批判入門――Patrick Madrid and Pete Vere『More Catholic Than the Pope: An inside Look At Extreme Traditionalism』★★★★

『教皇よりもカトリック』とはいかにも皮肉の効いたタイトルである。アメリカで有名な護教家と元SSPXerの教会法学者の共著。三部と余録から成る。 第一部では聖ピオ十世会の歴史を一瞥している。これはVereによるオンライン上のテクストA CANONICAL HISTORY …

お役立ち記事リスト

[教会の外に救いなし] 教会なしに救いなし、「教会の外に救いなし」――杉本氏の誤謬をただす、「教会の外に救いなし」補足、ルフェーブル大司教による「教会の外に救いなし」、誰が救われるのか、「教会の外に救いなし」入門、「Extra Ecclesiam nulla salus …

教皇権についての簡略な入門書――Stephen K.Ray、R.Dennis Walters"The Papacy Lerning Guide"★★★

Catholic Answersから出版されている教皇権についての標準的な教えの理解に役立つ本である。薄い(112P)が内容は凝縮している。安価なので手元にあって損はない一冊である。既に当ブログで「教皇の不可謬の教導権」について書かれたところを紹介したが、これ…

教会なしに救いなし

ごぶさただったDave Armstrongのサイトを探索していて、PHLIP C.L.GRAYの以下の論考を発見。当たり前のように「教会の外に救いなし」と言っているが、そもそも訳し方に問題があるという指摘には虚をつかれた。 Without the Church There Is No Salvation 多…

お役立ち記事リスト

[教会の外に救いなし] 「教会の外に救いなし」――杉本氏の誤謬をただす、「教会の外に救いなし」補足、ルフェーブル大司教による「教会の外に救いなし」、誰が救われるのか、「教会の外に救いなし」入門、「Extra Ecclesiam nulla salus 教会の外に救いなし、…

「教会の外に救いなし」――杉本氏の誤謬をただす

(杉本氏の発言は青字、教会の公式文書は緑字、聖ピオ十世会関係はオレンジで引用する)すでに何度も何度も繰り返し書いたが、いちおう復習の意味もかねて。杉本氏は「随想 吉祥寺の森から」で以下のように書いている。 http://blog.livedoor.jp/mediaterrac…

「英国聖公会の叙階の無効性」について(続続)

(杉本氏の発言は青字で引く)明快な反論があるだろうと期待していたら、早速杉本氏からコメントがあった。 http://d.hatena.ne.jp/kanedaitsuki/edit?date=20070216 最も重要な点は、バチカンと、ルフェーブルや聖ピオ10世会の人たちとでは、形式上の意味…

「英国聖公会の叙階の無効性」について(続)

(便宜上、杉本氏の発言は青字、教会の公式文書は緑字、聖ピオ十世会関連の方からはオレンジで引用する) この件についてのおさらい。杉本氏が当ブログコメント欄で以下のように書いたことが発端。 http://d.hatena.ne.jp/kanedaitsuki/20070203/p2 バチカン…

お役立ち記事リスト

[教会の外に救いなし] 「教会の外に救いなし」補足 ルフェーブル大司教による「教会の外に救いなし」 誰が救われるのか 「教会の外に救いなし」入門 「Extra Ecclesiam nulla salus 教会の外に救いなし、再び 教会の外に救いなし 2 教会の外に救いなし 『第…

教皇の不可謬の教導権:5

"The Papacy Lerning Guide"(Catolic Answers)より。 では「不可謬ではない」教えについてはどうか。カトリック信徒はそれらに同意しない自由や、単純に無視する自由があるのだろうか? 答えは否だ。 第二バチカンは明らかに言う、「ローマ教皇の権威ある教…

「英国聖公会の叙階の無効性」について

「みこころネット」経由で、ファチマ・クルセイダーズのカスパー枢機卿に対する批判的記事内の以下のような記述を知ったので紹介しておく。 http://www.fatimaperspectives.com/kw/perspective521.asp By referring to the "possible recognition of Anglica…

教皇の不可謬の教導権:4

"The Papacy Lerning Guide"(Catholic Answers)より。 不可謬権が何であるかは明らかである。不幸なことに、ときおり人々は、不可謬権をそうではないものと混同している。 第一に、不可謬権はしばしば霊感と混同される。聖書は霊感を受けている。なぜなら筆…

「教会の外に救いなし」補足

(教会公文書は緑字で引用)私はかつて以下のように書いた。 「教会の外に救いなし」 http://d.hatena.ne.jp/kanedaitsuki/20041229/p2 「不可坑的無知の場合のように、暗に含まれた願望」という措辞を見よ。これは、「教会について現に知らないのだが、もし…