聖人の教皇はいるが教皇=聖人というわけではない

教皇不可謬」誤解の典型例なのでひろっておく。

日本キリスト教団 須賀川教会のホームページ」より。
http://www1.ocn.ne.jp/~sukagawa/sukagawa.files/sekkyou.files/2002/sek20609.htm

カトリック教会とプロテスタント教会の解釈が別れる代表的な聖書箇所。カトリック教会は、この18節「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」を根拠に、主は、「岩」と呼ばれたペテロを後継者として認め、天国の鍵を渡した。そのペテロの正当な後継者であるのがカトリック教会の教皇であると。これを「教皇の首位権」と言います。つまり、カトリック教会だけが、代々の正当なキリスト教だという意味になります。現在のヨハネ・パウロ二世は、使徒ペテロから数えて264代目となります。更に教皇の首位権を強化するあまり、1870年には、「教皇の不可謬性」が教義とされました。「教皇の不可謬性」とは、信仰や道徳に関して教皇教皇座から教示するとき、すべての誤謬から守られると言うもの。簡単に言えば、教皇は間違がったことは絶対に言わないし、間違いも犯さないということ

最終の文の手前まではだいたい正しいのだが。もちろん、不可謬性とは不可罪性(間違いを犯さない)という意味ではない。