まさに「鋼の錬金術師」――Jean Borella"The Secret of the Christian Way"★★★★★

kanedaitsuki2007-04-25

真のリアリズムとしての神秘主義を地でいくフランスの現代神学者Borellaの論考を、聖ボナヴェントゥラの『魂の神への道程』の七階梯に従ってまとめた小著。まったく無名ながら、数々の卓見に満ち、中身が濃い。いわゆる「グノーシズム」は近代の「発明」であって、キリスト教こそ、真の知(グノーシス)であることを明かしていく。
神秘主義というと、現実世界を仮想のものと見なし、その背後にあるイデア的世界をこそ「リアル」とする態度を思い浮かべる。たしかにそれは一面正しい。そしてそのゆえに、そのような態度は現実世界の否定であり、貶下である、というのが、おおざっぱに言ってニーチェを頂点とする、形而上学キリスト教批判の骨子でもある。しかし、問題は現実界イデア界の「影」であったとして、その「影」の様相・意味の方だ。実際の所、「影」であることが単なる否定でも貶下でもないとしたら
逆に、この現実世界をこそ「神」とする汎神論は、本当にその世界を肯定していることになるのか? むしろそれは「神」という超越的価値の貶下になるのではないか。「神」という名によって、神ではないものを名指してしまっているとしたら、それもまた転倒である。まさに、この名指しこそ、不可視のものの方へと魂を動かせるものであり、「象徴」と呼ばれる。現実世界はリアルな象徴に満ちている。
もちろん名指しといっても、象徴は背後の何かを単に指示する記号ではない。象徴においては霊的運動と知的認識は不可分離的である。わたしたちは、象徴を介して神秘の世界を、つまり可視的なものによって不可視のものを実体験する。その意味ですべての象徴は秘跡的である。この書ではBorellaの象徴的リアリズムは、当然ながら十字架やキリストの身体の傷などへと収斂していく。
単なるノスタルジーでもなければ、現実の異化効果の類でもない、真に知的な神秘主義がここに開示されている。同時代にこのような知性が存在すること自体奇蹟だ。

http://www.amazon.co.jp/Secret-Christian-Way-Contemplative-Traditions/dp/0791448444/ref=sr_1_10/503-5734487-5319958?ie=UTF8&s=english-books&qid=1177456711&sr=1-10