教皇権についての簡略な入門書――Stephen K.Ray、R.Dennis Walters"The Papacy Lerning Guide"★★★

kanedaitsuki2007-03-02

Catholic Answersから出版されている教皇権についての標準的な教えの理解に役立つ本である。薄い(112P)が内容は凝縮している。安価なので手元にあって損はない一冊である。

既に当ブログで「教皇の不可謬の教導権」について書かれたところを紹介したが、これに関連して「護教の盾」さんが感想を書いている(3月1日付日記)。

(引用者註・「教皇の不可謬の教導権(5)を引用した上で)


上の文章を書いた人は、人の心を「素直に」見ているだろうか?.....と思うのである。人の心というものを、自分も同じ人間としての生きた心を持って、見ているだろうか?.....と。
私にはそうは思えないのだ。
この文章が、マルセル・ルフェーブル大司教様と聖ピオ十世会に向けられたものだと仮定しよう、たぶんそんなところだろうから。また、金田さんの訳も原文の意を正確に伝えていると仮定しよう(大変失礼。しかしこれは金田さんの訳を信用していないからではなくて-----信じてます-----私が原文にあたっていないので一抹の不安を感じるということを、ここで表示しておくのが適当と思うからに過ぎない)。

まず、(これに限らず)訳については責任を持てない。わかりやすさを優先して、逐語的に正確な訳をしていないからである。また基本的に短い場合(特にネット上にソースがある時)は英文も併載するようにはしているが、長文の場合は省略している。ただ、内容的にまったく逆を意味するようにはなってはいないはずである。その点、ご了承いただきたい。
さて、「この文章が、マルセル・ルフェーブル大司教様と聖ピオ十世会に向けられたものだと仮定しよう、たぶんそんなところだろうから」の部分であるが、これに対しては自信を持って断言できる。「その仮定は誤りである」と。そもそもこの書は一般信徒に向けられた入門書であって、特定団体や特定個人に対して書かれていない。もし「マルセル・ルフェーブル大司教様と聖ピオ十世会に向けられたもの」であり、そう明記しているならば、当然私はそのことに言及している。残念ながらまったくの憶測に過ぎない。
この書の立場なるものがかりにあるとすれば、例えば当の「聖ピオ十世」についてどう書いているのかを見ると助けになる。この本では囲み記事で各教皇を扱ってもいるが、聖ピオ十世については「教会と世界への賜物としての教皇」の章で、ほぼ2ページを当てている。聖ピオ十世といえば、「すべての異端の総合」としてのモダニズムを排斥したことで有名であり、ルフェーブル大司教にはじまる聖ピオ十世会はその態度を継承しているが、この件についてどう書いているか。

(引用者註・モダニズムの特徴を挙げた上で)


この教皇(引用者註・聖ピオ十世のこと)は六十五個の特定の近代主義的命題をカトリック信徒にとって受け入れられないものとした。彼はそれを教える人々を破門し、すべての司祭、神学教授、宗教指導者に対して、信仰の宣誓をすることを必須とした。不幸なことに(Unfortunatly)近代主義は二十世紀半ばにまたやんわりと現れ(ピオ12世によって再び排斥された時期)、第二バチカンののちには強力な形で再出現した。公会議後40年、教会はなおその様々な側面を扱っている。


"The Papacy Lerning Guide"p61
太字強調は引用者による)

私は信徒ではないから、事実として客観的に確認可能なことにまず目がいく。この書がモダニズムに対して、聖ピオ十世会とまったく反対の立場に立っているわけではない、ということは確認できようかと思う(「同じ」立場だと言っているわけではない。為念)。

http://www.amazon.co.jp/Papacy-Learning-Guide-Catholic-Century/dp/1888992093/ref=sr_1_21/503-5734487-5319958?ie=UTF8&s=english-books&qid=1172803559&sr=1-21

<追記>
ちなみに、聖ピオ十世会が特に愛着している教皇の内の一人であるピオ12世は回勅「フマニ・ジェネリス」(これもモダニズムを排斥した書)で、不可謬的でない教えについて以下のように書いている。

回勅が教えることはそれ自体は同意を要求していない、と考えてはならない。教皇が回勅を書く時、最高の教導権を行使していないことは事実である。しかし、回勅の教えは通常の教導権によるものであって、「あなたたちの言うことを聞く人は私の言うことを聞く人である」(ルカ10・16)と主は言っている。回勅が教え説くことは、すでに別の点でカトリックの教義に属しているものである教皇がそれまで議論されていた問題について宣言する時、その問題は今後神学者間で自由に討議すべきないものであるという教皇の意向がすべての人に明白なものでなければらならない。


Humani Generis 20(DZs 3885(568))

同じく、聖ピオ十世会が好んでよく取り上げるピオ9世の「シラブス」(謬説表)にも。

排斥された命題


カトリック教師と著者は、教会がその不可謬権によって、すべての人が信ずべきこととして定めた信仰箇条だけに従う義務がある。


DZs 2922(1722)

"The Papacy Lerning Guide"の不可謬的でない教えについての記述は、第二バチカン公会議以前のこれら教皇の教えにかなった標準的なものである。