保守主義すら軽く乗り越える伝統主義者ルネ・ゲノン流階級闘争史観――Rene Guenon"Spiritual Authority and Temporal Power" ★★★★★

 形而上学的・精神的領域に関わる教権と形而下的・物質的領域に関わる世俗権は、原初においては一つであったが、歴史が進むとともに分化していった。しかし、分化したとは言え、両者は一体であり、また、前者が後者に優越するというヒエラルキーがはっきりしていた。というのも、後者の世俗権は、変化の中にあるがゆえに自ら原理を持つことはできず、変化を超えた真理に接する前者の教権から、その力を委託される必要があったからだ。これが、東西問わぬ伝統的社会のノーマルな形であった。インドにおいてはバラモンクシャトリヤが両者に対応する。
 ここから逸脱が起こる。つまり、世俗権が徐々に教権から独立し、また反抗しはじめる。ついには教権にとって替わり、ヒエラルキーが逆転する。そして、一度こうした事態が生じれば、正統性を失ってしまった世俗権は、さらに下位のカースト(階級)による反抗を受けるはめになり、自滅してしまう。
 こうした歴史観は、マルクス主義者のそれを彷彿とさせるが、その結論は真逆である。マルクス主義においては、下位の階級が支配権を得ることは、人間の自由の拡大であり解放を意味する。ゲノンにおいては、原理から次第に遠ざかっていく過程であり、混乱の拡大、精神的堕落の増大を意味する。
 西洋における、伝統(原理)からの逸脱が決定的にはじまったのは、ゲノンによれば14世紀のテンプル騎士団の解散という事件からだ。これは、世俗権の主であるフィリップ王が、教会を強いて行わせたのだが、その際、王はもっぱら金銭的欲望からそうした。つまり、世俗権力としての存在理由すら失ったわけで、これはのちに起こるブルジョワジー(ヴァイシャ:商業階級)による革命の萌芽であった、とゲノンは言うのだ。
 この歴史解釈の妥当性は私には分からないが、ゲノンの形而上学的見解に親しんだ者はみな、興奮を禁じえないだろう。『世界の王』とともに、ゲノン作品中、きわめてエキサイティングな一冊である。