無原罪の御宿りの祝日



童貞聖マリア無原罪の御孕りの祝日と歳時記に 正木ゆう子



それ自体ですでに十七音を超えているが「童貞聖マリア無原罪の御孕りの祝日」はたしかに季語である。もちろんこのままの形で使うひとは稀だが。夏井いつきの『絶滅寸前季語辞典』でもフィーチャーされている。
ルルドの聖母は自らを「無原罪に懐胎した」とは言わず、「私は無原罪の宿りです」と語った。モーセに現れた神が「ありてあるもの」と自称したように。ここからコルベ神父はペルソナとしてのICという思想を引き出し、Speyrがさらに発展させていく。
教会は伝統的にICを、ルカ1:28のマリアへの天使の呼びかけ「恩寵満ち満てるもの」(ギKecharitomene、ラgratia plena、英full of grace)から弁証してきた。すでに過去完了的に恩寵に満ちているならば、それが欠けた瞬間が一瞬でもあってはならないからだ。この天使の呼びかけがマリアの本質をあらわす「新しい名」であるならば、たしかにFoG=ICであり、ペルソナとしてのICは正当なものとなろう。