教皇不可謬説について

教皇不可謬の教義は、マリアに関する教義と並んで(あるいはそれ以上に)、非カトリックキリスト教徒により攻撃されている。そこには多くの誤解・無知もあり、それは非カトリックだけでなく、カトリック教徒にまで広がっている。いずれにせよ非常に論争的な主題であることは事実である。
それはそれとして、『新ローマ教皇 わが信仰の歩み』における、前述した訳者・里野泰昭の誤謬は「教皇不可謬説」にも及んでいるので、ここで取り上げておこう。里野はこれをラッチンガー自身の考えとして紹介しているが、その事実関係については判断を保留する(とはいえ、これほど非カトリック的思想をたとえ学者時代とはいえ現教皇が持つとは、私には信じられないが)。従って、以下では書かれている判断について、基本的にはカトリックの正統信仰に合致するかいなかを検討することにする。

司教は全体として十二使徒の後継者であると、古くから考えられてきました。どこそこの司教がある特別の使徒の後継者であるということはないのです。

同上、p216

ローマの司教が全教会の中心的な地位を占めていたといっても、ローマの司教が教皇として、ほかの司教の上に立っていたということではありません

同上、p217

不可謬権以前の問題として首位権すら否定されてしまっている。しかし、「聖ペトロは他の使徒に対して第一の地位を占めること」「聖ペトロの首位権はローマ教皇に継承されていること」は、カトリックにおける不可謬の教義(de fide)である(Dz1822-1825、Ludwig Ott"Fundamentals of Catholic Dogma(FCD)p279-283参照)。プロテスタントはもちろん、正教会ローマ教皇の首位権を認めていない。ということは逆に、この首位権の教義こそが、カトリックを他の教派と区別するものだということだ。良い悪い、正しい正しくないはとりあえず置くとしても。
つづく文章は、どうにかして教皇首位権を否定せんとして支離滅裂なものになっている。

一般にカトリック教会は堅固なヒエラルキーの体制をとっているように考えられています(その通り!)が、カトリックの位階制は、叙階という秘跡によって決められています(「位階制」はたったいま否定されたはずでは?)。叙階には、助祭、司祭、司教の叙階がありますが、教皇の叙階ということはありません。教皇はローマの司教なのです。それ以上でも以下でもありません。

同上、p217

「叙階がない」ということは、その職責に首位性がないということを論理的に帰結しない(余談であるが、教皇になるにはその直前までに司教である必要はない。教皇になった時点で自動的にローマ司教に叙階されたと見なされる(教会法332)。教皇はローマの司教としては、他の司教と同等である(「それ以上でも以下でもない」)が、「教皇」すなわちペトロの後継者としてはそうではない(すべての司教以上のものである)。「教皇は信仰と道徳に関することだけでなく、全世界の教会の規律と統治に関することがらについて最高の裁治権をもつこと」はカトリック教会の不可謬の教義(de fide)である(Dz1831、FCDp285)
不可謬権に移るが、里野は(あくまでラッチンガーの講義の紹介という形で)不謬性は教会に属し聖霊の助けを得て行使されている(ここまでは正しい)としたうえで、次のように述べている。

確かに教会は、その歴史において多くの過ちを犯してきたし、教会は罪人からなる教会です。しかし人間の資質ではなく、聖霊の導きを信頼することが大事なことであり、不謬性の教義とは、聖霊に対するこの信頼なのであると彼は言います。(・・・)とにかく、不謬性とは誤ることがないという主張ではなく聖霊の導きへの信頼であり、信仰であるという点は重要であると思います。

同上、p223

正統信仰云々より以前に、すでに日本語がおかしい。「不謬性とは誤ることがないという主張」ではない????? 不謬性(「不可謬性」)を「誤ることがない(ありえない)」以外にどう解釈するんだ? Ottも親切なことに"Infallibility is the impossibility of falling into error."「不可謬とは誤ることの不可能性のこと」(FCDp297)と定義してくれている。

ラッチンガー教授は、不謬性を教皇個人の問題としてでなく、全教会の問題として考えます。信徒を含んだ全教会がまず不謬であるのです。ついで全司教の問題としてとらえます。不謬性を定義した、第一ヴァチカン公会議の文書を分析することによって、不謬性の条件として、全司教との一致において決定するという言葉が入っていることを指摘します。
(・・・)
ローマの司教は自分ですべてを決めるのではなく、常にほかの司教たちとの一致において決定したのです。しかし一致が得られないとき、全教会の一致の保証として、ローマの司教が決断を下したのでした。
同上、pp223-234

これでは、あくまで教皇は全司教の一致を「形式的」に代表して不可謬の教義を決定するかのごときである(後半は例によって支離滅裂)。当の第一バチカン公会議の教義決定を引いておこう。

教皇教皇座から宣言する時、言換えれば全キリスト信者の牧者として教師として、その最高の使徒伝来の権威によって全教会が守るべき信仰と道徳についての教義を決定する時、救い主である神は、自分の教会が信仰と道徳についての教義を定義する時に望んだ聖ペトロに約束した神の助力によって、不可謬性が与えられている。そのため、教皇の定義(註・教義決定のこと)は、教会の同意によってではなく、それ自体で、改正できないものである

Dz1839

たしかに歴史的にいって、完全に厳密な意味で教皇単独で教義を決定したことはないか、あってもごく稀である。ex Cathedraとされる教義も、通常は司教や枢機卿の意見を聴聞したり、専門の審議委員会を開いた上で慎重に決定されている。また、「聖霊の助力は決して不可謬の教導権の所有者に、真理を極めようとすること、とりわけ啓示の源泉についての研究に骨を折る義務を免除しているわけではない」(FCDp287)、つまり教皇といえども単なる思いつきで不可謬の教義を乱発することはままならない。しかし、そうではあっても、教皇は単独で不可謬の教義を決定しうる」ということが、第一バチカンで宣言されている意味なのであり、「教皇不可謬性」の意味なのである。
ローマ教皇は信仰と道徳に関する教義について不可謬の教導権を持ち、それのみならず、全教会に対する規律と統治についても首位権を有する。これが嘘偽りないカトリックの姿である。それではまるで君主制ではないかと思うひともいるかも知れないが、その印象は間違いではない。カトリックとは教皇を頂点とした位階秩序を有する組織なのである
第一バチカン公会議教皇不可謬の教義に不同意の司教らは、信者を引き連れてローマカトリックを出て別の教会を立てている(現在でも健在のようである)。また首位権も疑問であるならば、カトリック同様、使徒継承の伝統を有する正教会がある。少なくとも日本には信教の自由があるのだから、不服なひとには他に道がいくらでもある。
私がここで指摘しているのは、あくまでカトリックの正統信仰より見て里野の記述には誤謬があるということであって、それ以上でも以下でもない。少なくとも「カトリック」入門としては最適の解説とは言いがたい。といっても、こんにちでは上位僧職者の中でも、かように教皇不可謬説を疑問視・軽視するひとも少なくはなかろうから、なんなくスルーされてしまうのではあろう。
いまのところ外部の人間である者からする感想を言えば、「教皇不可謬説」は教会の位階秩序から当然帰結する教皇の首位権を強く守護するという意味で非常に優れたドグマであると思う。



参照リンク:
Wikipedia教皇不可謬説
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%99%E7%9A%87%E4%B8%8D%E5%8F%AF%E8%AC%AC%E8%AA%AC