「皇紀2665年」論

吉祥寺さんは、皇紀2665年を使う人間が正確に2665年前を紀元と考えていると決めつけ、「まともに考える頭を持ってい」ないのだと蔑視しておられる。
http://blog.livedoor.jp/mediaterrace/archives/50223741.html
ところで、西暦とは言うまでもなくキリスト生誕を起点とした年代記述法であるが、実際のキリスト生誕年とはずれていることがわかっている。
「西暦―Wikipedia」 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%9A%A6
さて、世界中に大勢いる西暦を使うひとに向かって、「あなたは正確に2005年前にキリストが誕生したことを信じているのか? おお! あなたはまともに考える頭を持っていない」などと言おうものなら、おそらくは、
「おまえの方がだ!」
と(心の中で)叫ばれること必定だろう。吉祥寺さんの難癖はせいぜいその程度のつまらぬものでしかない。信仰深きキリスト教徒らが、この間違いをただし、西暦改正運動をしているという話は(あるのかも知れないが)耳にしない。それをしないのは、西暦が長年慣習化したものであり、あえて改正したらさまざまな混乱をまねく、という健全な常識によるものだろう(ついでに言えば、保守主義者にとっての「伝統」擁護とは、かような態度から類推することができる)。
皇紀2665年」という言い方で問題となるのは、天皇の人代系譜を「神武天皇」までさかのぼりうるか否かという点であろうが、安本美典のように「神武天皇」実在説を唱える現代の学者もいるから、かりにさかのぼりうると信じたからといって、ただちに「まともに考える頭を持っていない」と決めつけることなどできないのだ。