皇紀2665年の天皇論

閲覧したところ「吉祥寺の森から」において、女性・女系天皇問題について論及していた。
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さて、女性天皇はこれまでにも推古天皇斉明天皇など8人が存在した。だが、女系天皇、つまり、女性の天皇の子どもとして生まれた男が天皇に即位したことはないとされている。「とされている」だけで実際はよくわからないが、日本の皇室は「万世一系」、男系の系譜のみでここまでやってきた、とされている。戦前はそれゆえ、天皇天照大神に由来する神武天皇直系の神様、「現人神」であると公式に本気で位置づけられていた。

ほぼ正確な記述である。ただ最後の「「現人神」であると公式に本気で位置づけられていた。」はなんのことだろう。かりに大日本国憲法第三条のことなら、それはよくある誤解である(これはいずれ里見の文章を紹介する時に説明するつもり)。
以下、吉祥寺さんは三笠宮殿下の発言を引き、建国以来の皇紀「2665年」に喰いつく。

さて、この天皇が始まってから全てが男系の万世一系にて、何と「2665年」もが経過しているという前提であるが、これ、本当に信用するに値するものであるのだろうか?
 
 かつて、軍国主義が蔓延った「大東亜戦争」のまっただ中にも「皇紀2600年」の記念式典が賑々しく行われたことがある。今でも民族主義的な人からの年賀状には「皇紀2665年元旦」などと書かれていることがあるが、天照大神因幡の白ウサギなど、神話の世界に直結したお話をされたところで、はい、そうですか、と受けとるわけにいかないこと、まともに考える頭を持っていれば当たり前である。

「2665年」自体は正確な数値ではなかろうし、皇紀が神話的な起源を有するのではあろうが、だからといって、なにゆえそれを用いることが「まともに考える頭をもって」いない証拠になるのだろう。文書は残っていないが、口承伝承があった時代にまで歴史をさのぼることは、果たして非理性的なのか? そう信ずべき理由がある場合は?

また、応仁の乱のように戦乱でほとんど全てが灰燼に帰した時もあったし、致命的な大飢饉や疫病に襲われたことも何度もある。皇族の身柄、安否、居場所などがわからず、所在不明だった時期も何度もある。かの後醍醐天皇期に戦乱で皇統が二つに、つまり、南北朝に割れ、それ以降、現在に至るまで北朝出身の系譜にチェンジしたのは広く知られたこと。今も自身が南朝出身の血を継承している「正統」の人間だといっている人は少なからず存在する。また、性的なモラルに大きく欠けた天皇がいたことも何度となくある。当然、血のつながり、遺伝子継承の流れが断絶したりずれたりしたものであり、世界的にも学術的、客観的評価として

 「日本の皇族の血筋は、2665年間、一切の断絶や狂いを経験することなく継承されてきた世界に類を見ない稀有の系譜を持つ。」
 
 とは認識されていない。2665年間、遺伝子の繋がりが万世一系で微動だにぶれず継承されてきたという認識は、ほとんどそれ自体が「神話」である。

第一パラグラフの例は皇統連続の否定の証拠にぜんぜんなっていない。直系傍系に限らず、任意の天皇の父系をさかのぼればみな神武天皇にいきつくということが「万世一系」の意味だからだ。むしろあまたの危機を乗り越えてきた(高橋・所いうところの『綱渡り』)ところに、私は率直に感嘆するが。

躍起になって「女系天皇」の誕生を阻もうとしている民族主義者たちは、「女系天皇」どころか、「女性天皇」そのものを忌避している面が強い。公立大学の高崎経済大で憲法政治学を教えている八木秀次もその一人で、昨日深夜、フジテレビのニュースジャパンで、2000年とも2665年ともいわれているこうした日本の歴史や伝統を今あっさり変えてしまって良いのか、とコメントしていた。
 
 そもそも
 
 「2000年とも、2665年ともいわれている」 

 といっている段階で数百年ものずれがあり、内容が曖昧極まりないが、その様に実証不能の神話で現実の政策を論じること自体がどうかしている。

まあ、「2000年とも」というのは慎重を期しただけであって、別に八木の発言の本意には関係がない(こういうのを揚げ足取りという)。「実証不能の神話で現実の政策を論じる」というのは不思議な物言いだ。神話時代を含めて有史以来の「皇統」が実際に万世一系である、というだけの話で、男系による継承が「原則」であることは十分歴史的にも実証できると思うが。

八木秀次はヤギアンテナを開発したかの八木氏と名が同じだが何の関係もない。彼はジェンダー論から護憲論、市民社会に至るまで全てが共産主義理論の陰謀だと言っている人物。彼自身が言っているように、八木は間違いなく筋金入りの民族主義者であり、国家主義者ではあると思うが、私に言わせれば彼に「学者」、「研究者」を名乗る資格はない。まともな国法学の人間ならばあれを「憲法学者」だと思っている人は皆無だろう。実は彼はまだ40代前半にしかならない比較的若手の人間である。それにもかかわらず、よくあそこまで徹底的に凝り固まった時代錯誤に走ることができるものだと、そういう意味では「感心」している。

私はまだ天皇についての八木の書物を手にしていないので、ここで書かれていることについてのコメントは後日としたい。しかし、「筋金入りの民族主義者であり、国家主義者ではある」というのはむしろ八木にとってはほめ言葉だと思う。