ドーキンスは妄想である――Alister E. McGrath&Joanna Collicutt Mcgrath"The Dawkins Delusion?: Atheist Fundamentalism and the Denial of the Divine"★★★★★

 リチャード・ドーキンス『神は妄想である』をもじって、ヴェーダの定式を「世界は妄想である」とした事があるが、まさか同様の切り口でアリスター・E・マクグラスがこんな本を書いていたとは。
 読むとすぐ分かるが、マクグラスは、『神は妄想である』におけるドーキンスの子供地味た反宗教的妄想に丁寧につきあい、事実問題についての誤謬をいちいち指摘している。ドーキンスは、真の科学者は無神論者であり、科学は世界のすべてを説明しつくし、科学の発展は必ずや、悪の根源である神(宗教)を駆逐する、と言う。しかし、統計的に科学者の4割はいまなお人格神を信じており、21世紀に入って、宗教はむしろ興隆し、無神論こそ没落している。宗教が暴力の原因になることはたしかにあるが、同じように無神論が暴力を推し進めることもある。神が歴史のある時点でイエス・キリストにおいて自らを啓示したということは、人によっては信じがたい。しかし、経験的に検証されていないドーキンスの唱える「ミーム」という存在も、同程度には信じがたい。つまり、キリスト教を信じるか、ドーキンスを信じるか、決定的な証拠が存在しない以上、少なくとも五分なのである。
 最も気をつけるべきなのは、ドーキンスが非常に単純な二分法(科学は善、宗教は悪)に問題を落とし込んでしまいがちなところだ。ドーキンスによれば、宗教の価値を少しでも認める無神論者は背信者であり、進化論を信仰と両立しうると主張する宗教者は偽善者である。このように中間の立場を認めないのは、まさにドーキンスの標的である原理主義者の態度そのものである(結論は逆であれ)。
 マクグラス神学者ながら、分子生物学によってキャリアをはじめた過去があり、この本におけるドーキンス批判は、いわば「科学的方法論」を貫いており、単に理性(科学)に対し信仰(宗教)を対置しているのではない。宗教と科学の関係について、繊細で厳密な方法論になじんでいない人には、格好のケース・スタディになる書と言えよう。