中沢新一によるイスラームへのラブ・レター――中沢新一『緑の資本論』★★★

 学問的厳密さにおいて、いささか疑わしいところがあったとしても、新しい思考を触発し、読み物として面白い本を書く物書きもいるもので、中沢新一はその中の一人であろう。
 最後に収録された論文をのぞいて、九・一一の直後にひらめいた直感(天啓)から書かれたとのことで、それは表題作「緑の資本論」において、同じ一神教であるキリスト教イスラームとの神概念の原理的差異を論じつつ、グローバル経済(西欧型資本主義)に対抗するものとしてイスラーム経済を大きく取り上げているところに、そのスタンスはよく表明されている。
 この論文の主旨は、以下の段落にほとんど集約されている。
イスラームの論理は、世界がヴァーチャル化していくことを許さない。風のそよぎも光の輝きも、そのままにしてアッラーであり、心に浮かぶとりとめもないイメージも、アッラーの意志のあらわれなのである。イスラームは資本主義を嫌悪し、自分たちの世界にそれが侵入してくることを、重大な悪ととらえるだろう。原理におけるイスラームは、利潤が生み出す豊かな社会を拒否してでも、世界が意味にみたされてあることのほうを、選びたいと考えるのである。その世界はなにからなにまでが直接的で、資本主義の目からすれば、遅れた貧しい社会と映るかも知れないが、人間が意味に生きる生き物であるかぎりにおいては、はるかに豊かな世界であると、言えるのではないか」(p.124)
 なんとも怪しくも魅力的な、イスラームへのラブ・コールではないか。