脱保守派宣言

私も宣言しておくか(笑
明らかにここ最近つづけているカトリックの伝統原理主義への批判が私のポリティカルなスタンスにも影響しているのは事実ではあるが、数年前から、いわゆる保守言論に対して違和感を持ってはいた。
ついこの間読んだが、おそらく朝日新聞紙上だったかと思うが、保守派の評論家櫻田淳が、保守言論の硬直化について発言していた。かつて、左翼は紋切型の右翼(保守)批判をしていたが、それが逆転して、保守サイドが紋切型の左翼批判をやり始めているというのだ。そうした状況だと、少し左翼的なことを言っただけで、たちまち攻撃を食らい、「にせ保守派」だの「隠れ左派」だのとレッテルを貼られてしまう。自由に議論する雰囲気がなくなってしまっているのだ。保守派内で、誰が真の保守派かという正当性をめぐる内ゲバさえ生じている。親米VS反米しかり、「つくる会」の分裂しかり。
最近の安部政権に対する評価に関しても、保守派内に硬直的な安部批判が見られるが、「ぼやきくっくり」で紹介されている花田紀凱のように、四面楚歌状態の安部前首相をすすんで擁護する人はある意味えらい。私も今回の件で見直した。このブログのコメント欄では逆に勝谷誠彦が集中砲火を浴びている(勝谷氏は沢尻エリカ様を公然と批判したので、個人的にはすでに抹殺リスト行きであるが)。勝谷の安部批判は典型的な紋切型で、安部支持者(「アベイスト」と呼ばれるそうな)をバカ扱いして終わりである。首相を支持したとしても、別に崇拝しているわけではあるまい。なぜそれだけでバカ扱いされねばならないのか。そもそも政治は原理主義ではない。ベストなどありえない。それゆえ、個々の結果に対して是々非々の評価を下して総合的に判断が下されるべきで、一刀両断するのは政治評論としてふさわしくない。それゆえ私は、現福田政権についても、あるいは民主党についても、決して全面否定したりしない。
保守論壇的イシューでいうと、私は皇位継承だけは今でも男系男子絶対の極右であるが、それ以外はかなり柔軟だと思う。日本国憲法もその正統性を認めているし、憲法第9条も第二項さえ削除すればそのまま残してもいいと思う。第一項はよく知られている通り、1928年のパリ不戦条約の焼き直しであるが、戦前の日本はこれを批准している。戦前日本の正統性を唱えるならば、自働的に憲法9条一項も認めなければおかしい。それを認めないのは、一部の保守派に見られる不整合である。
いずれにせよ言論不自由な硬直した雰囲気は嫌だ。そういうわけで私は「保守派」という看板は捨てることにする。