天皇の神聖不可侵

宿題のひとつだった天皇の「神聖不可侵」について、里見の見解を紹介していこう。

天皇は神聖不可侵であるか、ないか、というのは、憲法上の問題であって、神学上の問題や単なるイデオロギーの問題ではない。だから、神聖不可侵を解釈するのに、神様問題などを持ちこむのは見当違いもはなはだしいのであって、そんなものは、憲法には何の関係もないのである。さて、かつての帝国憲法をみると、その第三条には「天皇ハ神聖ニシテ侵スベカラズ」という厳然たる規定があったが、日本国憲法にはこれがなくなっている。全条文どこを探しても、そういう趣旨をあらわしたところがない。
すなわち、今日では、天皇神聖不可侵という法規が存在しなくなったのである。ところが今の日本では一般に、「帝国憲法には天皇を神とする条文があった。これほど非科学的なことはない。今の憲法はそういう神秘主義、神権主権を否定して、天皇も人間であって、我々国民と同じものとして認める。だから、神聖でもないし不可侵でもない、天皇に対してどんな批評をしても罰せられない自由が基本的人権として確立されている。そして天皇自身も神であることを否定して人間であるという宣言をしたのである」というような思想が、新聞に雑誌に、指導的地位を占めているようである。

天皇とは何か』展転社、1989年(原著1953年)、pp73-74

高名な思想家吉本隆明も第三条を天皇を「神」とする条項と見なしていたように、こういう誤解は蔓延している。「人間」天皇を強調するあまり、逆に戦前の天皇を神がかり的に扱うのは、別に反天皇制を唱える左翼筋のみならず、三島由紀夫天皇観にも見られる。
日本国憲法は各国の、特に立憲君主制を採用している国家の憲法を参考にして、当時の日本人が心血を注いでつくりあげた「近代憲法」である。憲法条項において天皇を「神」と規定するなどということはありうるはずがない。「神聖不可侵」条項を入れたのは、立憲君主国の憲法の多くにそういう規定があったからにほかならない。

帝国憲法は明治二十二年に制定されたものであるが、そのころ我が国が参考とした世界各国の憲法、就中、君主国の憲法には、たいてい君主は神聖不可侵だという規定が設けられていたのであって、我が国もそれに倣ったわけである。もっとも、中には、神聖の語を用いず単に不可侵の規定だけを示しているものもあるが、その数は前者に比べて遙かにすくない。
今、参考のため、千百年代以降の、おもなる君主国の憲法をみると、神聖不可侵または不可侵の法規を掲げているものは次の通りである(#の印は単に不可侵とするもの)。

一八〇九  スエーデン  三条
一八一四  ノルウェー  五条
一八一五 #オランダ   五十四条
一八一八  バイエルン  第二章一条
一八二六  ポルトガル  七十二条
一八三一 #ベルギー   六十三条
一八四八  イタリー   四条
一八四九  ハンガリー  一条
一八四九  デンマーク  十二条
一八五〇 #プロシヤ   四三条
一八六七  オースタリー 五の一条
一八七六  スペイン   四十八条
一八八九  日本     三条
一九〇六  ロシア    五条
一九二一 #ユーゴスラビヤ五十五条

以上十五例のうち、神聖不可侵が十一例、単なる不可侵が四例であるが、これで見ても、帝国憲法天皇神聖不可侵の規定は、特に日本だけのものでなく、ヨーロッパ諸国と共通の法規範であって、天皇が、神様である、という日本特有の神道主義の規定でないことがわかるであろう。

同上、pp75-76

キリスト教社会において、人間を神と同格と置くなどという偶像崇拝行為は言語道断であるから、それをふまえた西洋諸国の憲法にある「神聖不可侵」規定が、君主を神とすることなどであろうはずはない。大日本国憲法も成立経緯をふまえれば同断である。

天皇は神聖である、という帝国憲法の規定は、このような各国に共通な考え方に基づいているものであることは、帝国憲法の起草者が、この条文を定めるにあたって、以上にあげた諸国の憲法を全部参考にし、それを、一括して列記しているのに徴してもあきらかである。
そうすると、「天皇ハ神聖ニシテ」とは「天皇は汚損されてはならないものである」「天皇は善をつくすことあまねきものであって悪を為さないものである」という理念を掲げ示したものであって、「天皇は神様だ」というような頓馬な寝言でないことがはっきりするにちがいない

同上、pp76-78

里見博士はここで言及していないが、通常これを「君主の政治的不問責」といい、君主が政治的な権力を行使しないかわりに、政治に一切責任を負わない規定と見なされている。このことから天皇にいわゆる「戦争責任」が存在しないのは自明である。

読者は、帝国憲法第三条の意味が、天皇を神様として規定したものではなく、国家の統一、安定の上から考えて天皇は不可侵であるという性質を有するものと定めたもので、これは世界の君主国に普遍する法理である、ということを以上で明瞭に理解されたことと思う。

同上、pp78

権威と権力の分離(「君臨すれども統治せず」)というのが立憲君主国における君主のありようである。それを保障するのがこの「神聖不可侵」の規定であって、憲法第三条は天皇を公式に神とする意味ではない、ということは、かくして、まともに考える頭を持たない小生にも理解できた次第。