三島と天皇 2

前エントリーの文章中「英霊の声」云々というのは間違いで、ただしくは、全共闘との対話(『美と共同体と東大闘争』に付属されている「討論を終えて」において、ザインとゾルレンという用語を使用していた。ちなみに私がはじめて天皇論においてこの用語を見たのは、筒井清忠の名著『昭和期日本の構造』においてで、筒井はまさに226事件をザインとしての天皇ゾルレンとしての天皇という区別によって分析していた。これもいずれ取り上げるかと思う。
件の三島の文章は、三島の「変革の原理」としての天皇という概念がわかりやすく圧縮されているものなので、ここで引いておく。

天皇といふものが現実の社会体制や政治体制のザインに対してゾルレンとしての価値を持つことによつて、いつもその社会のゾルレンとしての要素に対して刺激的な力になり、その刺激的な力が変革を促して天皇の名における革命を成就させるといふことを納得させようとしたがうまくいかなかつた。天皇は、いまそこにをられる現実所与の存在としての天皇なしには観念的なゾルレンとしての天皇もあり得ない、(その逆もしかり)、といふふしぎな二重構性格を帯びてをられたのであつた。この天皇の二重構造が何を意味するかといふと、現実所与の存在としての天皇をいかに否定しても、ゾルレンとしての、観念的な、理想的な天皇像といふものは歴史と伝統によつて存続し得るし、またその観念的、連続的、理想的な天皇をいかに否定しても、そこにまた現在のやうな現実所与の存在としてのザインとしての天皇が残るというふことの相互の繰り返しを日本の歴史が繰り返してきたと私は考へる。私はこのゾルレンの要素の復活によつて初めて天皇が革新の原理になり得るといふことを主張してゐるのである。
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この私の独特の天皇理論については、「文化防衛論」や「道義的革命の論理」について読んでもらふほかはないが、要約すれば、私の考える革新とは、徹底的な論理性を政治に対して厳しく要求すると共に、一方、民族的心性(ゲミュート)の非論理性非合理性は文化の母胎であるから、(略)この非論理性非合理性の源泉を、天皇概念に集中することであつた。かくて、国家におけるロゴスとエトスははつきり両分され、後者すなはち文化概念としての天皇が、革新の原理になるのである

「討論を終えて」『美と共同体と東大闘争』角川文庫、2000年、pp141-142

たしかにザインとゾルレンの(相互)関係について述べられているが、あまり明確とはいえず、それ以上展開されてもいない。三島が重きを置いているのがあくまでゾルレンとしての天皇であることはわかる。これだけでは、この場合のゾルレン、最高の価値を表すイデアは、やはり(認識論的に不可知の)統制的原理なのではないか、という疑惑が残る(すなわちそれは「天皇」と名づけられる必要はない)。