三島と天皇

流れで「文化防衛論」を十数年ぶりに読み返した。当時観念的でごちゃごちゃしていてほとんど理解不能だったが、今回読み直してみてもあまり印象はかわらない。自らの理解力の無さを棚にあげて言うが、三島の「天皇」観というのは、実際にはかなり未熟なものだったのではないか。
骨子は分かる。政治的統治権者としての天皇に対して、古事記以前における神話的、神的な天皇概念を復興することであり、それが文化概念としての「天皇」である。左右を問わず政治は文化を自らの下位に置き、それをコントロールしようとする(「文化主義」とはこの政治に篭絡された文化のことにほかならない)。「人間天皇」とはその悲しき姿だ。三島は自ら価値評価を下す文化を上位に置き、政治と文化の関係を逆倒しようとする。この文脈において「天皇」は変革の原理を象徴し、それはエロティシズムとアナーキズムをも包容する概念に収斂していく。
「英霊の声」著者解説でも慣用しているが、三島は「ゾルレンとしての天皇」と「ザインとしての天皇」を峻別している。ミもフタもない言い方をするなら、理想の天皇と実際の天皇の区別である。三島の文化概念としての天皇、神的な天皇とは、明らかに前者であるから、そこから三島は現実の天皇(三島の場合は昭和天皇)に対する、下品ともいえる批判を下している。この観点からすれば、226事件は、理念としての天皇が現実としての天皇に敗北した悲劇だ、ということになる。実際死刑に処された青年将校らは昭和天皇への呪詛を発していた。
一口に天皇主義といっても、実際にはこのように、天皇の現存在に重きを置くか、天皇イデアに重きを置くかによって、ほとんど背反する思想にいきつく。天皇イデアリズムに従えば、現におられる天皇天皇イデアと合致する必要はない。必要はないだけでなく、もし合致しないのであれば、イデアに合致させるべく退位させることもかまわない、ということになる(226事件において実現しなかった政治プログラムのひとつ)。この思想はもっとも純化された形においては北一輝に見出されることは言うまでもない。
(ある意味でカント的ともいえる)この2元論は実践的にも思想的にもやはり困難に行きつくと思われる。そもそも天皇イデア天皇の現存在に何のかかわりもないのであるならば、実践を統制するものとしてのイデアは、何も「天皇」である必要はまったくない。「神」でも「天」でもイデアとして機能するはずだからである。なるほど文化的歴史的にいって、日本において絶対的価値を体現し、象徴する、その重みに耐えうるのはおそらく「天皇」以外には考えられぬのではあろう。だから日本において変革の原理の中心は「天皇」なのであるという三島の断言には、なにほどかの理があることはある。しかし、それならば議論は元に戻るのであって、では神代の昔以来こんにちまで連綿と継承維持されてきた実在の皇室とは何か、それとイデアとのかかわりとは何か、という問題が依然として残る。
この問題をときほぐすには、存在と真理、理論と実践をめぐるドイツ観念論の問題系を参照する必要すらあるだろうが、私が読むかぎり三島の思考はそこまでつきつめられていない。
個人的な感慨を述べるならば、三島には、その言行一致の早急な実現を遅延し、哲学的に深められた天皇論を展開してほしかった。しかし、それは残されたわれわれ日本人の課題なのだろう。