M先生の思い出

小学校五年生六年生時の担任は、中国から帰化した女性のM先生だった。
ある歴史の授業の日の光景は鮮明に記憶に焼きついている。黒板には2枚の大きな地図が掲げられている。一枚は大東亜戦争前の世界地図、もう一枚は大東亜戦争後の世界地図。前者では世界の大部分が欧米諸国の植民地であった。後者ではそれら植民地だった地域に数多くの独立国ができていた。
M先生は「戦争の大義」をとうとうと述べた、というわけではなかった。むしろ言葉少なで、この二つの地図を見て自分自身の頭で考えてください、ということだったのかも知れない。もちろん小学生には結論を出すにはとうてい難しいことであり、当時私も含めて先生の真意を理解できた人間はいなかっただろう。
ともかく大東亜戦争によって白人による世界支配が崩壊したのだな、という認識に私が到達したのは、それから十数年後のことだ。歴史家トインビーが同様のことを述べているのを知ったのはつい最近である。

M先生は「君が代」についても、語句のひとつひとつを丁寧に詳解し、この歌の意味を教えてくれた。あるところで吉本隆明は「君が代」について、その内容が子供には難しすぎ、非科学的でもある、といって罵倒している。文学の内容が非科学的であってもいっこうにかまわないはずだし、もし子供には難しいのならば、先生がきちんと教えればいい。国歌としての「君が代」の是非について自由に論じるのはいいが、妙ないいがかりをつけるくらいならば沈黙しておくべきだろう。

M先生はあるとき他の生徒のいないところで私に言った。
「ひとに嫌われてもいいから、あなたはただしいことを語りなさい」
親愛なるM先生、私は「ただしいこと」を語り、ひとに嫌われております。