エソテリックな般若心経

 密教フォーラム21公式サイト「エンサイクロメディア空海」内の記事「般若心教は真言を説いたお経」は、世に蔓延る通俗解釈を破砕していて爽快であり、気になる人には是非一読を勧める。
 http://www.mikkyo21f.gr.jp/academy/cat48/
 この中で特にひっかかったのは、第6章「仏母般若波羅蜜多の咒(マントラ)」
http://www.mikkyo21f.gr.jp/academy/cat48/post-204.html

 以上が一応の語義の説明ですが、「掲諦」から「菩提」までの各語は、実はすべて「般若波羅蜜多」の別称で、しかもそれらは女性名詞の呼格(呼びかけ語)ですから、女尊の名称なのです。 
 般若波羅蜜多が女尊であり、掲諦の句がそれと同義の女尊への呼びかけといえば、奇異に感じられるかも知れません。


 宋(そう)の時代に漢訳した施護(せご)の経題は「聖仏母般若波羅蜜多経」となっていて、般若波羅蜜多が「仏母(ぶつも)」と呼ばれていたことを示しています。実際に、大般若経巻14の中の「仏母品」という一節には、「般若波羅蜜は能(よ)く諸仏を生ず」と記されていますし、このほか維摩経などの多くの仏典にも「仏母」としての般若波羅蜜多が説かれていることは事実なのです。


 お釈迦さまのご生誕の聖地ルンビニーの守護神は、生母マーヤー(摩耶)夫人です。お釈迦さまをこの世に産んでわずか七日で没した母マーヤーの名は「幻影」を意味し、その現地名「ルンミンデーイ」の原意は、「失われた女神」です。数百年の時を経て、仏陀ブッダ)の母は般若波羅蜜多として蘇り、大乗仏教の原動力となったのでした。

 仏母が般若(知恵)と同一視されている。カトリックの方々には周知の通り、キリストの母、聖母マリアも旧約の「知恵」と同一視されている。しかも実は、フリッチョフ・シュオンが、マリアを「マーヤー」に関連づけており、私が紹介しようと思っているカスティンガー「聖処女」の主題がまさにそれなのだ。ちなみにこの場合の「マーヤー」はポジティブな方の「マーヤー」。「マーヤー」は単に否定的な面のみを持つのではない(シヴァ神が破壊且つ再創造の神であるように)。
 実は般若=仏母説は、昔何かの本で読んだ記憶がある(あるいは宮坂宥供師ご本人かも知れない)。もちろん、その時はあまりぴんとこなかったが、今読むとすとんと胸に落ちるから不思議だ。