離教にあらず

聖ピオ十世会は、「離教」しておらず、「破門」されてもいないと主張しているが、聖ピオ十世会の小野田神父は、先頃発表された、エクレジア・デイ委員会委員長のカストゥリヨン・オヨス枢機卿による「聖ピオ十世会の司教たち、司祭たち、平信徒たちは離教徒ではない」という発言を取り上げているのでリンクしておこう。
http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/9379ae84323c0fb79da9cb09a83c5579

ただし、小野田神父はきちんと触れていないが、委員長はルフェーブル大司教と彼によって聖別された司祭については「破門されている」とはっきり言っている。
http://rorate-caeli.blogspot.com/2007/02/for-record-castrilln-bishops-priests.html

The Bishops, Priests, and Faithful of the Society of St Pius X are not schismatics. It is Archbishop Lefebvre who has undertaken an illicit Episcopal consecration and therefore performed a schismatic act. It is for this reason that the Bishops consecrated by him have been suspended and excommunicated. The priests and faithful of the Society have not been excommunicated. They are not heretics. I do, however, share St Jerome’s fear that heresy leads to schism and vice versa.
(聖ピオ十世会の司教・司祭・信徒は離教徒ではない。ルフェーブル大司教は非合法な司教聖別を企て、それゆえ離教行為をした。この理由により、彼に聖別された司教らは職を解かれ、破門された。(だが)会の司祭と信徒は破門されなかった。彼らは異端ではない。けれども、異端が離教を導く、逆に離教が異端を導くという聖ジェロームの恐れを私も持っている。)

これはヨハネ・パウロ2世による使徒書簡「エクレジア・デイ」(1988年)の論理をそのまま踏襲したものと読める。「エクレジア・デイ」では、ルフェーブルの運動の支持者に対して、決して離教を支持しないよう警告(破門の脅しを含む)はしていたが、実際に離教である(従って自動破門である)とは、少なくとも具体的に何が離教を構成するかについては言っていなかったのだ。

Ecclesia Dei