「不可謬の教義」(de fide)をめぐって

(便宜のため、引用の際、杉本氏の発言は青字教会の公式文書は緑字で記すことにする)

あとになって気づいたのだが、どうも「不可謬権」(不可謬性)について論点がずれてしまっている。
まず、杉本氏が「吉祥寺の森から」で以下のように書いたのが発端。
http://blog.livedoor.jp/mediaterrace/archives/50891144.html

教皇は過ちを犯さない。(聖ペテロの継承者、ローマ教皇の不可謬性)

 Extra ecclesia nullus salus  カトリック教会の外に救いはない。

 という非常に古い観念をそのままに今も生きている、脳細胞が固まったような人たちはカトリックにも存在しており、カトリックを叩き出されたルフェーブルを今も信奉する聖ピオ10世会の自称、「司祭」たちは大間違いのエキュメニズムなどたくさんだ、と扱き下ろしている。

それが「教皇は過ちを犯さない」という意味ではないことを改めて繰り返し述べておくが、ともあれここで「教皇不可謬権」について杉本氏が言及しているのは明白だろう。それに対して私は、第二バチカン公会議でもこの教義が再認されていることを公式文書である「教会憲章」(Lumen Gntium 25)を引用して示した。「教皇不可謬権」という教義は第二バチカンにおいても、第二バチカン以後において(たとえばCCC891)も教会が認めた不可謬の教義(de fide)なのである。
しかるに杉本氏は当ブログのコメント欄において以下のように応えている。
http://d.hatena.ne.jp/kanedaitsuki/20070203/p2#c

>「教皇不可謬権」について聖ピオ10世会がバチカンの解釈と違うという箇所も具体的に指摘していただければ幸いです。

 バチカンも具体的に何が「不可謬」といえるかについては断定的に定めているわけではないですが、聖ピオ10世会の彼らは、英国聖公会の司祭叙階が無効であること、ルター、カルヴァンらが異端として排斥されたことは、「不可謬的」であると主張しています。「不可謬的」であるということは、その判断に間違いはないということで今もそうした認識は変わらないことになりますが、バチカンがその様なことを言っていますか?

私が「教皇不可謬権」とはっきり限定しているにもかかわらず、不可謬性一般に話がすりかわっている。悪意による論点ずらしだとは思わないが、当の杉本氏自身が「教皇不可謬権」をして「古い観念」と断定した以上、この件について答える義務はあろう。
それはそれとして、ここでの杉本氏の発言「バチカンも具体的に何が「不可謬」といえるかについては断定的に定めているわけではないですが」には少なからず驚いた。おそらくカトリック教徒の方も驚かれたのではないかと思う。教義に関していえば(というよりも、「不可謬性」は教義に関してしか成立しないのだが)、バチカンが、すなわち教会が宣言した不可謬の教義は山ほどある。
まず、どのような教えが不可謬になるかについて。

教会の四つの不可謬が認められていた。第一は全教会の構成員の総意による決定の不可謬、第二は世界の司教たちの総意による不可謬、第三は公会議の不可謬、そして第四は教皇の不可謬である。
Wikipedia「教皇不可謬説」

一と二は一般および通常教導権による「不可謬性」、三は公会議の決定による「不可謬性」、四は教皇の決定による「不可謬性」を指している。
これらは、第二バチカン公会議公文書「教会憲章」Lumen Gentium 25で言及されている。

おのおのの司教が不謬の特権を持っているのではない。しかし、かれらが全世界に散在しているときも、相互の間とペトロの後継者との交わりのつながりを保持しつつ、信仰と道徳に関する事柄を真正の権威を用いて教え、一定の教説を決定的なものとして認めるべきであると一致して述べるときには、かれらはキリストの教えを不謬に宣言する。このことは、かれらが公会議に集まり、その中で全教会のために信仰と道徳の師および判定者の役目を果たし、かれらの決定に信仰の従順による同意が要求されるときにはなおいっそう明らかである。(LG25)

司教団体の頭であるローマ教皇は、自分の兄弟たちの信仰を固める任をもつすべてのキリスト信者の最高の牧者および師として、信仰と道徳に関する教義を決定的に宣言するときその任務の権能により、この不謬性をもっている。(LG25)

公会議による不可謬の決定がわかりやすいかと思うので、不可謬の教義の例をいくつか挙げる。

「御子の神性」:第一ニカイア公会議(325年)
聖霊の神性」:第一コンスタンチィノポリス公会議(381年)
「テオトコス(神の母)」:エフェソス公会議(431年)
「キリスト両性説」:カルケドン公会議(451年)
「キリスト両意説」:第三コンスタンチィノポリス公会議(680年)
「全実体変化」:トリエント公会議(1537〜1545年)
教皇不可謬権」:第一バチカン公会議(1869〜1870年)

最後の二つはカトリック単独の公会議であるが、その他の五つにおける決定は、そのすべてもしくは部分的には、正教会も主要なプロテスタントも「不可謬の教義」として認めているものである。
第二バチカン公会議公文書「教会憲章」Lumen Gentium 1は冒頭で、これら公会議の教義決定を継承すると宣言している。

教会はキリストにおける秘跡、すなわち神との親密な交わりと全人類との一致のしるしであり道具であるから、これまでの公会議の教えを守りつつ、自分の本性と普遍的使命とを、その信者と全世界とに、より明らかに示そうとする。(LG1)

第二バチカン公会議においても、第二バチカン公会議以後においても、それ以前の有効な公会議によって不可謬に宣言された教義は不可謬のままである。なぜ杉本氏が「バチカンも具体的に何が「不可謬」といえるかについては断定的に定めているわけではないですが」と言いうるのか謎である。

おまけとして教皇不可謬権によるもの(Ex Cathedra)とされる不可謬の教義も挙げておく。

「マリア無原罪の御宿り」:大勅書Ineffabilis Deus(1854年
「マリア被昇天」:教皇令Munificentissimus Deus(1950年)

ちなみに教皇公会議の関係については、教皇の優位が認められている。それゆえ、不可謬決定をなしうる有効な公会議教皇による認可が必要とされている。第二バチカン公会議公文書「教会憲章」Lumen Gentium 22より引く。

司教たちはその団体の中で、自分の頭の首位権と卓越を忠実に認めながら、自分の信者の善のため、さらに全教会の善のために、自分に固有の権能を行使し、聖霊はその有機的構造と協和を絶えず固めている。この司教団体が全教会に対して持つ最高の権能は、公会議において荘厳な様式で行使される。しかし、ペトロの後継者によって公会議として確認されたか、あるいは少なくとも受け入れられたものでなければ、けっして公会議ではあり得ない公会議を召集し、それを司会し、それを確認するのは、ローマ教皇の特権である。(LG22)

第二バチカン公会議公文書「教会憲章」Lumen Gentiumがこれほどローマ教皇の首位性を断じてやまないのは、ある意味驚きかも知れない。しかし、驚く方がいるとすれば、第二バチカン公会議に関するイメージ操作におそらくだまされているだけなのだ。