限りなく透明に近いブルー

またもやmaroさんの記事に触れないわけにはいかない。松浦寿輝の作品にからめて初代世界チャンピオン・シュタイニッツの理論について語っている(6月18日分記事)。
http://www.orcaland.gr.jp/~maro/diary/diary.html

シュタイニッツ自身の棋譜は「理論」で割り切れぬ不可解さを黒々と孕んでいる。先日たまたま原啓介氏のブログが、1889年のチゴリンとのマッチ第十五局を紹介してくれていた。図から15.Nxe5と取ったのがチゴリンの疑問手で、最後はシュタイニッツが勝つのだが、そんなことより、原氏の言うとおり、「黒のポジションは酷い。酷過ぎる」。しかし、これがシュタイニッツなのである。こんな局面から勝ちたい、と真面目に研究してしまう棋士を「理論」的であると呼べようか。

おそらく逆説的なのは理論なり論理なりを徹底すれば、見た目は酷い形に達することもありうるということなのだ。というよりも、徹底した論理はほとんど非論理の瀬戸際まで来る。それを体現しているのが、あるいはイマニュエル・カントといういまだ不可解さを孕む哲学者なのかも知れぬ。
たまたま読売新聞で柄谷行人が近作の自著『世界共和国へ』(岩波新書)について語っているのを読んだ。柄谷言うにカント(とフロイト)は六十歳を超えてからいい仕事をした。俺も、と。その意気よし。