天皇論

『萬世一系の天皇』ちびちびと読む。里見は左の軽薄な天皇論を否定する一方、昭和前期に威勢をふるった、天皇を神格化するような右の天皇論をも批判している。理性によって受け入れがたい天皇論は、かえって皇室の存在に疑義を生ぜしめ、その存続の危機をまねくからだ。

ところで、保守論客のひとり西部邁は「女系天皇容認論者で、以下のように書いている。
http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2003/01291/contents/207.htm

最近の皇室論議における第一の論点は、皇位継承を「皇統に属する男系の男子」に限っている皇室典範第一条を修正すべきかどうか、ということである。私は、「女系」にも「女子」にも皇位継承が可能なように(皇室典範第二条の)「継承の順位」を変更したほうがよいと思う。
 その最大の理由は、日本国家を統合するための象徴機能は皇室において、つまり「血」統よりも「家」系を重視する方向において、よりよく維持されると思われるからである。血統のことに過度にこだわるなら、古代における皇統の朝鮮半島とのかかわりや南北朝期における皇位継承の混乱などについても論及しなければならなくなる。
 天皇「制」は日本国民の歴史感覚に、いいかえれば「時代」というものに誕生と死滅と変遷があるのだという集合的な潜在意識の制度に根差している。

第2パラグラフが眼目だが、私には「「血」統よりも「家」系を重視する方向において、よりよく維持される」とする根拠がわからない。「万世一系」であることが「天皇」の本質的属性なのであってみれば、天皇制を見かけ上維持するために方法論的に容易と思われる「女性」「女系」天皇容認という道を選ぶのは、完全な本末転倒と言わざるをえない。天皇とは何ぞや、という最も抑えるべき点において、過度に「虚構性」「仮構性」を強調するあまり、神話時代から続く皇統(天皇家の血統)という現実を軽視した結果、かような結論へと導かれたのではなかろうかともかんぐりたくなる。
たしかに西部の主張(有識者会議の結論と同じ)、理性にとって受け入れやすいものではあるのだが、逆に皇統の重み(伝統)を捨て去り、左翼的な「底の浅い」天皇観に接近してしまっているのではなかろうか。