渡辺京二『北一輝』★★★★

伝記と思想がバランスよく記述されている。その生涯の短さと著述の少なさ(特に私的事実について北はほとんど書き残していない)から、この程度の分量でも適当なのだろう。先行研究者、たとえば松本清張松本健一への批判はなかなか辛辣で、特に後者の文学的感受性のなさやその無知をあげつらっている。かくいう私も以前、松本健一の『北一輝論』を、「資料的価値は高いが、本文は中学生並の駄文」と評したことがある。
渡辺は北のロマン主義的側面より冷徹な理論家としての側面に重きを置いている。これはむろん、それまでロマン主義者的理解に偏していた北一輝像を修正したい意図があってのことでもあろう。その為に渡辺は、北の「天才性」を貶下することなく客観的に評価しようとする。それは北が当時の思想潮流(こんにち的に言えば輸入「現代思想」)をいちはやく理解消化し、自らの思想表現に骨肉化していることに示されているとする。渡辺のいう北の根本思想は社会「共同体(コミューン)」思想として解された「社会主義」ということになる。社会の最高形態において、個と全体は矛盾せずに統合される。極端な共同体主義(中世)と極端な個人主義(近代)のジンテーゼとしての、私的利益と公的利益の一致した高度化された「共同体」が、社会進化の完成態とみなされる。明らかに北はここで、いわゆる社会有機体説によっている。
この北の社会主義理解が、当時の日本の社会主義者および共産主義の諸理解よりも、ほんとうに抜きん出ていたかどうか、私に判断する材料はない。ただし、これはルソーからマルクス主義に流れ込む社会主義理論の正系ではある、ということは指摘できる。というのもルソーは、こうした理想社会が人民の共同意志を体現する「立法者」という独裁者によって統治されるべきであると考えており、これがマルクス主義の正統であることは、その後実現した社会主義国がことごとく独裁者を戴く全体主義国家であったことから証される。
また渡辺は、北の社会主義は、支配者を被支配者たる貧者の水準に引き落とす「平等主義」とは違って、貧者をもっと高度な人間に引き上げる「天才の平等主義」だと称するのだが、これもマルクス主義の正系からそう離れた話ではない。理想社会において人民が、徹底的に共産主義的人間に改造される、というのは前衛革命家が必ずや胸裏に抱いていた思想であって、資本主義社会はまさにそういう人間の可能性を抑圧する社会システムなのであって、理想の共産主義社会においてこそ、こうした人間のポテンシャルが十全に発揮される、と考えられていたのだ。この思想の結末は、実際には「思想改造」という名における、強制収容所ソビエト)や農村への放逐(中国)ならびに、都市部インテリの最終的な清算たる大虐殺(カンボジア)に終わった。
というわけで渡辺による北の天才性なるものには、疑問をさしはさまざるをえない点も多い。ただ、北による家族主義的国家観や神聖国家観の批判は、いわゆるマルクス主義者の唯物史観による公式天皇制批判とは別の視角からなされており、まさに戦後の丸山眞男による天皇ファシズム論の先取りであるといえる。これは北が天皇制の実像を冷静に見通していたことをあらわらしており、そのレベルの高さは、226事件というもっとも実現可能性の高かった軍事クーデターにおける青年将校が、結局は北の理論水準に達していなかったことからもわかる。北は天皇を革命のシンボルとしてのみ評価していたものの、非現実的ないかなる幻想も抱いていなかった点で、皇道派と一線を劃していた。かりに北が革命の主導者であったならば、必ずや天皇を玉として確保することをためらわなかったはずである。北にとって天皇はあくまで国家のための道具、革命のための道具に過ぎないからだ。私も226事件関係の書籍を読んで、なぜ彼らは宮城を占拠しなかったのだろうかと疑問に思ったことがある。この理由は天皇に対する宗教的ともいえる畏怖の感情などもあったかもしれない。しかしおそらく、計画そのもののツメの甘さ、天皇が必ずやこの義挙を迎え入れてくれるであろうという甘い見通しが、根底にあったのではなかろうかと思う。この意味で、彼らは北ほどの合理主義者にはなれなかったのだ。
北一輝をめぐってはまだまだ論じつくしていないことがあるが、これはまた後日としたい。いずれにせよ、北の思想をその歴史的文脈に置きなおして評価すべきことは言うをまたず、渡辺の本はこの点で恰好の入門書になりえていると思う。
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