ジャック・デリダ『コーラ プラトンの場』★★

kanedaitsuki2005-07-20

いつもの通りである。プラトンのテクスト『ティマイオス』の偏執的読解。プラトンプラトンに逆らって、つまりプラトンのテクストをプラトン自身に、プラトン哲学に、要はプラトニズムに逆らって読む作業。コーラはあれでもなくこれでもない、とはいえず、かといってあれでありかつこれである、ということもできない。否定神学的無でもなければ弁証法的に止揚される矛盾でもない、ある「場」である。それについて語るためには、あるひねった語法、哲学的な神話、あるいは神話的な哲学が必要とされる。それは哲学にも神話にも属さない(プラトン哲学、あるいはむしろ哲学というものは、常に哲学と神話の2分法の上に構築されている)。第3の種だ。
たしかに面白い。デリダを読むことには知的快楽がある。しかし、だからどうだというのだ?
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