靖国問題

首相靖国参拝の反対活動に熱心な諸宗教関係者は数多いが、なぜかキリスト教系が特にご熱心だ。おおむね憲法政教分離原則に反するという反対理由である。しかし、そういう諸氏方は以下のような指摘をされているのをご存知なのだろうか。
仏教徒佐伯真光氏による指摘

昭和五十八年七月十四日午後二時、三浦半島久里浜海岸で横須賀市主催の「水師提督ペリー上陸百三十年記念式典が催された。外務大臣、米国大使、第七艦隊司令官をはじめ多くの名士貴顕が参列して盛大だったが、会は横須賀基地の従軍牧師[原文ママ]カトリック)の祈祷によって始められ、従軍牧師(プロテスタント)の祝祷で閉じられた。式にはキリスト教関係者も参列していたが、市主催の公的行事で神父と牧師が祈祷しても、何の異議も唱えなかった。もしもこれが神道式行事だったら、キリスト教関係者から猛烈な反対の声があがったことだろう。
今年(昭和六十年)五月十七日午前十時、伊豆半島下田の開国記念公園で恒例の黒船祭(黒船祭執行会・下田市商工観光課)が開催された。ここでも横須賀基地の従軍神父アルバート・W・ストット大佐(カトリック)がインボケーションをおこなっている。これも靖国反対の論理からすれば当然問題になるはずだが、なぜかキリスト教関係者は沈黙している。
キリスト者は「靖国」を語れるのか」『新版靖国論集』pp186-187、近代出版

神道者・葦津珍彦による指摘。

神社に対する公的行事が忌避されている半面で、キリスト教色が明白な公式行事を主催したり、それに公人が参列することはほとんど問題にされず不公平なことだと思います。三浦按針祭やペルリ提督上陸記念祭などは神奈川横須賀市の公的な主催で、キリスト教儀式で行われています。その近くの横浜市保土ヶ谷区では英連邦戦没者慰霊祭があって主としてキリスト教儀式で行われ、日本の外相や防衛庁長官、または代理が参列して献花の儀礼などをします。国際儀礼上、当然のこととしてこれは問題にされない。しかし靖国神社へ参拝すると直ちに是非の議論が激しくなる。憲法十四条は要旨「すべての国民は信条などで差別されない」としています。この国民の中には法人も含まれるというのが通説ですが、宗教法人の中では神道系に対し、行政上の差別があると思います。
神社神道政教分離」同上p209

寡聞にして私はキリスト教徒のなかで、同胞のダブルスタンダードについて上記のような指摘をしているひとを知らない。かりにキリスト教ならよくて神道なら駄目であるという明確な基準でもあるのなら知りたい。それがないにもかかわらず、神道だけを特別扱いするのは、宗教差別をしているといわれても仕方があるまい。
もともと首相の公式参拝を「政教分離違反」とするのは、ほとんど原理主義的な「完全分離」という無理な憲法解釈に基づき、占領下において既に神道指令による公職者の儀礼参加の制限が緩和されたことでもわかる通り立法意志の観点からも「限定分離」(特定宗教への加担の禁止)と解するのが妥当である。いわゆる津地鎮祭訴訟最高裁判決も限定分離を前提に「目的効果基準」によって、公共機関の宗教儀式への加担が社会常識の範囲内であれば合憲との判断を下している。
そういうわけで、政教分離違反を持ち出すこと自体に無理があるのだが、そのロジックを徹底して公共機関によるキリスト教儀式にも反対するというわけではないらしいのだから、ある特定のイデオロギーに基づいた反日活動なのだろうと推測するのみである。