言葉遊びと像

ついでなので戯れ思考をつづけてみる。

たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ 坪内稔典

有名な句で、いかにも「現代」俳句らしい句だと思う。
言葉遊び句であってもまったく像が浮かばないということはなく、この句の場合も、私ならなんとなくたんぽぽの茎根の部分が燃えている像がちらりと浮かぶ。しかし、よくよく考えるに「ぽぽのあたり」は特定の部位を指しているでもないし、これら言葉を正確になぞる像は厳密には存在しない。
それにもかかわらず、この句はいかなる像化をも峻拒しているというわけではない。イメージを喚起しようがしまいが、いずれにせよイメージと無関係に成立している句だということだ。不敵な反-イメージを目指しているのではない。もっと軽く、幼児的な思いつきを熟練した技で言語形式の枠のなかで表現として仕上げたと言っていい。
火事というものの、緊迫感がぜんぜんない。留守電に入っていたいたずらメッセージのようにも思える。こうした子供地味た遊び心にたんぽぽという季語はしっくりくる。俳句の伝統的情意から遠く離れているように見えて、定型と季語がこの句をしっかりしたものにしていることがわかる。
ただし、定型と季語に固執しすぎてもこういう句はできない。それらに対する反発が強すぎても。