教皇不可謬権

教皇不可謬における問題点というか、争点は、約すれば昨日挙げた公文書の中の以下の部分になるだろう。

such definitions of the Roman pontiff are of themselves, and not by the consent of the church, irreformable.

つまり、公会議における司教らの同意を経ることなしに、教皇は単独で信ずべき教義を決定することができる、としているところだ。実際、教皇不可謬の教義の決定以後、「聖母被昇天」はこの手続きで公会議なしに教義になっている。
いわゆる公会議主義者にとって都合が悪いのは、この教皇不可謬の教義自体は、第1バチカン公会議によるものだということだ。自分たちにとって不利な公会議のみは認めない、というのでは公会議主義を徹底できない。したがって、カトリック信者であるかぎりは、教皇不可謬の教義を信ずべき宗教的義務があると、部外者である私は思うのだが・・