村上春樹『神の子どもたちはみな踊る』★★★★

阪神淡路大震災通奏低音として流れる短編集。日常というものが実は非常に不安定な基盤の上にあることを象徴するツールとして、オカルト的なものが使われている。村上自身もちろんオカルトなど信じてはいないだろう。しかし、端々に神秘的な宗教感覚を垣間見せているのが面白い。私は「真の現実主義者は真の神秘主義者である」という命題を信じているが、ますます信じたくなる。
特に好きなのは表題作の一場面。新興宗教の教祖の息子が、彼ら母子に影のように付き添ってきて支えてきた田端氏の、死ぬ間際に彼の母へのひそかな欲望を告白されるところ。

謝ることなんかありません。邪念を抱いていたのはあなただけじゃない。息子である僕だっていまだにろくでもない妄想に追いかけられているんだ。善也はそう打ち明けたかった。でもそれを言ったところで、田端さんを余計に混乱させるだけだろう。善也は黙って田端さんの手をとり、長いあいだ握っていた。胸の中にある想いを相手の手に伝えようとした。僕らの心は石ではないのです。石はいつか崩れ落ちるかもしれない。姿かたちを失うかもしれない。でも心は崩れません。僕らはそのかたちなきものを、善きものであれ、悪しきものであれ、どこまでも伝えあうことができるのです。神の子どもたちはみな踊るのです。その翌日、田端さんは息をひきとった。
村上春樹神の子どもたちはみな踊る』)

ここには言葉への信頼がある。言葉への信頼が、現実と神秘を結びつける。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4101001502/qid=1103113467/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/250-1083540-4887412