第2バチカン公会議公文書『教会憲章』より

ちと手短ではあるが、いちおう次の箇所を引用しておく。

したがって、聖なる教会会議は、まず第一にカトリック信者に関心をむける。聖書と伝承に基づいて、この旅する教会が救いのために必要であると教える。事実、キリストだけが仲介者であり救いの道であって、そのキリストは自分のからだ、すなわち教会の中で、われわれにとって現存するからである。しかもキリストは、信仰と洗礼の必要性を明白な言葉によって教え(マルコ16・16、ヨハネ3・5参照)、人々がちょうど戸口を通してのように、洗礼を通してその中に入る必要性をも同時に確認した
(「教会憲章」『第2バチカン公会議公文書全集』中央出版社、p58)

これ、素直に読むかぎり、「教会の外に救いなし」としか読めないけど?(笑
この続きは駄目押しになるだろうか。

したがって、カトリック教会が神によってイエズス・キリストを通して必要不可欠なものとして建てられたことを知っていて、しかもなおその教会にはいること、あるいは教会の中に終わるまでとどまることを拒否すれば、このような人々は救われないであろう
(同上、p58)

たしかにここの解釈は微妙で、じゃあ、カトリック教会についてよく知らないひとはどうなのかという疑問は残る。しかし、いかに拡大解釈しようとも、東天パー子ちゃんがお望みのような「すべてのひとが(なにもせずとも)救われる」という解釈は、ここからは出てこない。
パー子ちゃん、残念でしたね!