落ち着いて考えてみなよ、東天さん!

東天さんは「天の川」
http://d.hatena.ne.jp/touten/20041206
12月6日分で以下のように書いている。

私自身も被害を語ってゆくとさまざまな反応に出会います。

特殊な被害の場合はそれを体験していない人が多い。体験していないものはわかりようがないのに

「わかりますよ、あなたのきもち」

???

確かににね、共感しようとすることは大切だと思いますけどね、

「わかったつもりになって結局上から見下しているだけ」

だと、被害を受けて傷ついた心は敏感に察知するんですよ。

自分を虐待した人とおなじ内面的な精神性を。

前後がかみあってない支離滅裂な文章だ。上では他者の被害体験は理解できない、といい、下では「私には」わかる、といっている。どっちなんだろうな。そうそう、なぜか、その被害を共有しているわけではない原爆被害者とは同一視してたな。
被害体験がこれほど特権的なものだとすると、外部の人間は何をいっても偽にしかならないわけだ。常に相手を批判する権利を有するのは被害者の側だけ、というわけだ。
私はこういう体験の絶対化を絶対に認めない。ふざけるな、ぼけ!
体験をしたことのない人間が何もいえぬのなら、なぜ東天さんは「私は殺人者だ」と軽々しくいえるんだろうな? このひと、自分だけはどんな体験も理解できると思い上がってるのかね。
被害体験者と共闘するためには、同じ被害を受けねばならないとでもいうのか? それこそナンセンスだろう。
ほんとうに被害体験が「わかりようがない」と認めているのなら、そこから出発すべきなのに、自分の望まない反応があると、理解されていないということをヒステリックになげきわめきまわる。
理解されるためにだって、きちんと言語化し、表現する努力が必要なのに。いい大人が甘えるな!
ただただ醜い。
東天さんは一度自分を鏡にうつしてみた方がいい。自分自身一番なりたくない人間になっていることに気づくよ。