東天さんの思考こそカルトなのだ

東天さんは「天の川」
http://d.hatena.ne.jp/touten/20041203
12月3日分記事中で、以下のように書いている。

聖書ファンダメンタリストってやつ。他の教派との比較にさらされると負けは目に見えているので、自衛手段として、「他はよくない」と言うしかなかったんだね、今にして思えば。
(…)
自己正当化のために聖書を利用するのはおちゃのこさいさい。

東天さんは自説の批判に対して、無視したり、投稿拒否にしてみたりしてますが、それって、他人の思想との「比較にさらされると負けは目に見えている」からなんですかね?(笑
「自己正当化のために聖書を利用する」のも東天さん自身ですよね。
自分の非をただす言説は無視を決め込み、悪意を邪推し、親切な提言も自分に都合のいいように解釈する、これってなんのことはない、カルトの思考そのまんまだ。
東天さんは残念ながら、いまのところ自分の頭で考えることができていない。「悪いのはすべて××だ」として、都合の悪いものをそこにすべてあてはめていくのはカルトの思考の特徴だが、東天さんの場合は、「××」の部分が「カルト」に変わっただけのこと。思考の構造は全然変化していない。自己の不道徳に対しては、反省のかけらもないのもカルトそのものだ。
東天さんは語ってないけど、おそらくカルトにいたときは何者かを偶像崇拝していたに違いない。そして、今はオリオン君なりなんなりを偶像崇拝しているに過ぎない。クリスチャンにとって、偶像崇拝は大罪じゃないの? まあ、本人らが定義上「クリスチャン」でないなら、それもけっこうと言ってるんだから、偶像崇拝しててもいいんだろうけど。