シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』から

わたしがこの日記でいろんな書物を紹介する理由。
それはファンダメンタリストキリスト教の陥穽を知っていただくことに・・
ありません(笑

キリストは、人間の悲惨をことごとく、なめつくした。ただ罪は別として。だが、人間に罪をおかさせる可能性のあるものはことごとく、体験してきた。人間に罪をおかさせる可能性のあるものとは、真空である。あらゆる罪は、種々の真空を充たそうとする試みである。そうすると、汚れにみちたわたしの生涯も、完全に清らかなかれの生涯に近いのである。いや、さらにもっと低級な生涯についても、同じことがいえるのだ。わたしは、どんなに低くへ落ちても、キリストからそんなに遠くへだたることはないだろう。ただ、このことは、落ちて行くわたしには、もう知ることができないだけである。
シモーヌ・ヴェイユ重力と恩寵

なんといっても文章が知的且つ詩的だな。