似非クリスチャン東天さんに告ぐ

親愛なる東天さま

論争的な事柄に関してはメールでやりとりしたくない、とお願いしたにもかかわらず、私宛のメールを続けて送られていますが、今後この件については一切返信しないのであしからず。答えてほしいならば、公開の場でお願いします。メールは事務的なもの以外送ってこないでください。ただし、公開を条件としてならば受けつけます。その場合はタイトルもしくは本文に「公開可」と明記してください。あとで訴えられてもいやなので。
先日私はメールで、「モルトマンのようなぽっと出の神学者を学ぶ前に既存のキリスト教を勉強してはいかがか」というしごくまっとうな助言をしましたが、東天さんはこれに対して、「そんな時間はない。だいいち、既存のキリスト教こそが、異端や異教の迫害、宗教戦争を引き起こしてきた」と応じました。
おお、なんという短絡!!
教義と歴史をごっちゃにしてはいけません。あいもかわらず昔のままの教義を保持したまま、社会的には穏健な立場にあるのが既存の宗教というものです。それゆえ、過去の行動の過ちは、単純に教義に還元されるものではない、というのは自明です。
もっと問題なのは、東天さんお気に入りのモルトマン神学の信奉者が、あるいは反社会的な行動に出る可能性もあるということに対する想像力の欠如です。それがゆえに、東天さんの自己批判能力、自分の思想を客観的に見る力を疑わざるを得ません。だんぴさんの批判はこの点で非常に有益だと思います。
伝統的なキリスト教など学ぶ必要などない、モルトマン神学で充分だ、という、この東天さんの思い上がりを確認したいま、私は躊躇なく次のように言えます。東天さんはクリスチャンではない、ただたんにモルトマン教徒にすぎない、と。
ただの感想になりますが、だんぴさんの紹介を読むかぎり、モルトマン神学なるものは、神学の衣をまとったニューエイジ思想という印象を受けます。知的関心は高いが知的努力はしたくないタイプのスノビストが好みそうですね。ある思想を理解するにはそれなりの労力を払わねばならない、ということに無理解な連中のひっかかるのがニューエイジ思想というものです。
東天さん、そんなに自分の思想のただしさに確信があるならば、公開の場で徹底的に論議しましょうよ。少なくともここのゲストであなたの思想に賛同するひとはいないみたいですが・・でも、ちゃんと公的な場に出てきてくだされば、フェアーに扱うことは保障いたしますので。

金田一