「英国聖公会の叙階の無効性」について(続)

(便宜上、杉本氏の発言は青字教会の公式文書は緑字聖ピオ十世会関連の方からはオレンジで引用する)


この件についてのおさらい。杉本氏が当ブログコメント欄で以下のように書いたことが発端。
http://d.hatena.ne.jp/kanedaitsuki/20070203/p2

バチカンも具体的に何が「不可謬」といえるかについては断定的に定めているわけではないですが、聖ピオ10世会の彼らは、英国聖公会の司祭叙階が無効であること、ルター、カルヴァンらが異端として排斥されたことは、「不可謬的」であると主張しています。「不可謬的」であるということは、その判断に間違いはないということで今もそうした認識は変わらないことになりますが、バチカンがその様なことを言っていますか?

また、杉本氏は自身のブログ「随想 吉祥寺の森から」においても、同様の見解を述べている。
http://blog.livedoor.jp/mediaterrace/archives/50902705.html

・ 彼ら(引用者註・聖ピオ十世会を指す)は、英国聖公会の司祭叙階が無効であることはレオ13世によって不可謬的に(ex cathedra)明らかにされたことであり、また、宗教改革を起こしたマルチン・ルターらはレオ10世によって不可謬的に(ex cathedra)異端として排斥されたと言う。

杉本氏の論述スタイルのよくないところは、批判先のソースを容易に確認できるようにリンクせず、具体的な形で文章を引用しようとしないことだ。この記事でも「参考」として聖ピオ十世会の小野田神父のブログ記事一件を貼りつけるのみである。読者がもし杉本氏の記述に疑問を感じても、いちいちネット上の聖ピオ十世会の膨大なテクストを渉猟する手間などかけまい。これでは公正な判断など望めず、ただ杉本氏による一方的な聖ピオ十世会への罵倒を聞かされるはめになる。
小野田神父は聖ピオ十世会の聖職者の一員ではあるが、会の代表でもなければ公式のスポークスマンでもない。聖ピオ十世会をきちんと批判するためには、少なくとも創始者ルフェーブル大司教や総長の発言、あるいは会の広報部の発表から引用すべきである。杉本氏は批判的立場での議論の際に必要な、こういう当たり前の手続きをまったくしていない。
ここで誤解のないように強調しておくが、ここで私は(おそらく杉本氏も)「英国聖公会の叙階の無効性」の是非は論じていない。問題にしているのは、単にそれがバチカンの公式の見解(つまりローマ・カトリック教会の教え)であるか否かである。もしそうならば、小野田神父(聖ピオ十世会の一神父)は、少なくともこの件においてはローマ・カトリック教会の教えていることを教えているだけになる。

さて、とりあえず、杉本氏の上記箇所に該当するであろう小野田神父(聖ピオ十世会の一神父)の発言を、代わりに私がリンクし、引用しておく
http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/65fa3e8e720ed8dbffa9dab5bb93ad54

アヴェ・マリア


兄弟姉妹の皆様、


 レオ13世によって不可謬的に(ex cathedra)明らかにされた英国聖公会の司祭叙階が無効であることを信じなければ私たちはどうなってしまうのでしょうか?


 レオ10世教皇は、マルチン・ルターを不可謬的に(ex cathedra)排斥しましたが、それを信じなければ私たちはどうなってしまうのでしょうか?


 「教会の外に救いなし」とする聖会の不可謬の教義を信じなければ私たちはどうなってしまうのでしょうか?

ただこれだけである。
さて、私はすでに杉本氏の発言に対して、小野田神父も挙げている、英国聖公会の叙階の無効性を宣言した教皇レオ13世の教書「Apostolicae Curae」(1896年)を、ソースを明示したうえで、必要箇所の引用もした。
英国聖公会の司祭叙階の無効性
バチカンがその様なことを言ってますか?」も何もあったもんではない。杉本氏は小野田神父の件の記事を読んだはずで、それならば「レオ13世によって」という措辞を見落としはしないだろう。これが「教皇」を意味するであろうことは文脈から明らかである。杉本氏は教皇の公的文書は「バチカンの発言」とは見なさないのだろうか。古いから? なぜ? 少なくともこの文書を公に撤回し否定した教会公文書がないかぎり、この決定はいまでも有効である。

さらに探索した結果、1998年6月にラッチンガー枢機卿(現教皇ベネディクト16世)が信仰の教義に関する評議会議長の立場で再認していることがわかった。
Wikipedia(English):Apostolicae Curae

Despite the ongoing work of the ecumenical Anglican-Roman Catholic International Commission (ARCIC), in 1998 Joseph Cardinal Ratzinger (then the Prefect of the Congregation for the Doctrine of the Faith, and later Pope Benedict XVI) issued a doctrinal commentary to accompany Pope John Paul II’s apostolic letter "Ad Tuendam Fidem", which established penalties in Canon law for failure to accept “definitive teaching.” Ratzinger’s commentary listed Leo XIII’s Apostolicae Curae, declaring Anglican Holy Orders to be “absolutely null and utterly void,” as one of the irreversible teachings to which Roman Catholics must give firm and definitive assent.[1] These teachings are not understood by the Church as revealed doctrines but are rather those which the church’s teaching authority finds to be so closely connected to God's revealed truth that belief in them is required in order to safeguard the divinely revealed truths of the Christian Faith. Those who fail to give firm and definitive assent, according to the letter, “will no longer be in full communion with the Catholic church.”
聖公会ローマ・カトリックによるエキュメニカルな国際委員会の作業が進行中にもかかわらず、ラッチンガー枢機卿(その当時、信仰の教義に関する評議会議長であり、のちに教皇ベネディクト16世になった)は教皇ヨハネ・パウロ2世による使徒書簡「Ad Tuendam」に伴ってその教義的註釈を発布した。ラッチンガーの註釈はレオ13世の「Apostolicae Curae」をリストしている。その教書は、英国聖公会の聖職階級叙階が「絶対的に無意味であり、まったく無効である」ことを、ローマ・カトリック教徒が固く決定的に同意する必要のある撤回できない教えの一つとして宣言している。それらの教えは、啓示された教理とは見なされていないが、教会の教導権によって神の啓示した真理に密接に結びついているので、それらを信じることはキリスト教信仰の聖なる啓示的真理を守るために必要とされる。教書によれば、固く決定的な同意をしない人々は「もはやカトリック教会との十分な交わりを失うだろう」。)

ヨハネ・パウロ2世の使徒書簡「Ad Tuendam Fidem」(1998年)は新教会法の修正を指示した文書である。
Wikipedia(English):Ad Tuendam Fidem
ラッチンガー枢機卿による註釈を確認すると、「Apostolicae Curae」が、啓示に結びついた決定的に保持されるべき諸真理の例として実際にリストアップされている。
http://www.ewtn.com/library/CURIA/CDFADTU.HTM

11 (・・・)
With regard to those truths connected to revelation by historical necessity and which are to be held definitively, but are not able to be declared as divinely revealed, the following examples can be given: the legitimacy of the election of the Supreme Pontiff or of the celebration of an ecumenical council, the canonizations of saints (dogmatic facts), the declaration of Pope Leo XIII in the Apostolic Letter Apostolicae Curae on the invalidity of Anglican ordinations ...
(11 (・・・)
啓示されたとは宣言されることができないが、歴史的必要により啓示に結びつけられた断固として保持されるべき諸真理に関しては、以下の例がある。至聖なる教皇の選挙や公会議の開催の合法性、聖人の列聖(教義的事実)、使徒書簡「Apostolicae Curae」で教皇レオ13世によって宣言された英国聖公会の叙階の無効性...

枢機卿時代だが個人的著作ではなく、バチカンの公式の評議会議長として、教会公文書で現教皇が「Apostolicae Curae」の英国聖公会の叙階の無効性を再認している。1998年なので、そう遠い過去のことではない。
バチカンがその様なことを言ってますか?」
これまで見てきたように答えは明瞭で、「もちろん、言っている」。したがって、小野田神父(聖ピオ十世会の一神父)は、少なくともこの件については、教会が教えるとおりに教えているに過ぎない。
この註釈は、杉本氏の大好きなヨハネ・パウロ2世教皇在位下に出た公文書である。単にラッチンガーの個人的著述ではないのだ。まさか杉本氏も、ラッチンガー(現教皇)が言ったから、それは「ローマ・カトリック教会の教え」ではない、などと、そこまで非論理的なことは言うまい。そう信じる。

「英国聖公会の叙階の無効性」について
英国聖公会の司祭叙階の無効性