フリッチョフ・シュオン『霊的観点と人間的事実』より

kanedaitsuki2009-09-19

正統(orthodoxy)とは、ある観念、一般には形式を、啓示された特定の観点もしくは真理の特定の側面に適応したものである。
 神は時折、正統とは独立に干渉することがあるが、正統は神の不在を埋め合わせることはできない。時々、真理は論理――もしくは、ある種の論理、概念ないし物事の一つ――を超越し、それと衝突する。しかし、論理は決して真理を超えない。結果において、予見できず逆説的な原因(the Cause)の干渉というものがありうる。しかし、結果は決して原因を排除できない。正統は霊感のチャンネルであり、基準ではあるが、その第一原因ではない。正統は形式というレベルにおいてのみ、形式を超えた真理を保護する。
 パリサイ派は、一切の神聖な霊感を排除するよう計算された擬似―機械的な正統を、神と置き換えた。彼らは宗教を形式主義に還元した。しかし、宗教は形式主義では決してありえない。そうでないなら、キリストの彼らへの非難には何の意味もないことになっていただろう。
 パリサイ的形式主義は、神の超越的自由も、人間の知的且つ不死のパーソナリティも、ともに抑圧する。


Frithjof Schuon"Spiritual Perspectives and Human Facts: A New Translation with Selected Letters",World Wisdom Books,2007,pp80-81,



Spiritual Perspectives and Human Facts: A New Translation with Selected Letters (Writings of Frithjof Schuon)