ルフェーブルの離教運動からの脱出記――すべての伝統はローマに通ず(6)

"My Journey out of the Lefebvre Schism All Tradition Leads to Rome"より。

ルフェーブル大司教は破門されたか?


聖ピオ十世会で私が一貫して出会ってきた最後の主張は、私の教会との和解の決定にはまったく影響のない、より技術的なものである。事実、私はこの問題に対する答えを探そうと考えたことがない。むしろ私の学術論文の調査の間、偶然答えに遭遇したのである。それでも、この立論は言及する価値はある。その主張はこうである。教会は決して現実にルフェーブル大司教を破門しなかった、むしろ、教会法そのものによって彼は自動的に破門になったのだと知らせたに過ぎない。
教会は二つの仕方でひとを破門しうる。第一には、自動破門によって。これは、教会法そのもによって自動的に被告が破門されるということを意味する。それゆえ、教会内での判決によって課せられる宣告は必要としない。しかしながら、教会法の強制によるそのような破門は、合法的な教会の権威によって、破門が生じたことを宣言されなければならない。
破門を課す第二の方法は、手続化された破門である。教会の裁判所での判決による決定ということだ。
ルフェーブル大司教は、裁判によって課せられた罰ではなく、法によって破門された。しかし、ルフェーブルの弁護者はこの立論を成す際、彼の破門が続いて教会によって宣言されたということを見落としている。1988年7月1日付の破門宣言において、ガンタン枢機卿は教会を代理してルフェーブル大司教の破門を宣告している。
「トゥールのエメリトゥスの大司教であるマルセル・ルフェーブル氏は、去る6月13日の公式の教会法上の警告、彼の意向を止めるよう繰り返した訴えにもかかわらず、教皇委任状なく、また教皇の意志に逆らって四人の司祭を司教に聖別することによって、離教行為を成した。それゆえに、教会法1364条1と教会法1382条によって規定された罰が生じた。裁治上の結果を鑑み、私はそれ自体の事実によって、以下の者が聖座によってのみ免罪される自動破門となったことを宣告する。上記のルフェーブル大司教、ベルナール・フェレイ、ベルナール・ティシエ・ド・マレレ、リチャード・ウィリアムソン、アルフォンソ・デ・ガラッレタ」
教会法の詳細を研究しなくとも、それにもかかわらず私たちは明白にこの宣言で、教会がルフェーブル大司教を破門したことを確定できる。ローマはカトリックの伝統として明らかに語っている。それゆえ、この件はこれでおしまいである。


カトリックの伝統の実質


教会に帰還する私の中で、神の恵みによって、私はカトリックの伝統の単なる「偶有性」から、その実質へと導かれた。私は今ではラテン教会の規範的典礼として理解したパウロ6世の改正された典礼に参加しているけれども、ルフェーブル運動に携わっていた期間と同様に、1962年の典礼書に基づくミサを堅く守ってもいる。しかし、私はカトリックとしてヨハネ・パウロ二世や、他のすべての合法的な聖ペテロの後継者から離れては、典礼の伝統はありえないということを理解している。というのも、彼の声は現在の教会におけるカトリックの伝統の声だからだ――キリストと使徒によって彼に伝えられてきた伝統の。

(この項了)