「護教の盾」はカトリックを守るための盾ではない――平気で嘘をつくひと

「護教の盾」(ヨゼフ・ジェンマ)氏の発言は茶色で引用する。また、「護教の盾」氏は自身の日記に手を加えて文章をまるまる削除するような改変をすることがあるので、ことわりのないかぎりは私の引用は現時点のものとお考えいただきたい。証拠隠滅されると困るので、一部は既に印刷済)


「護教の盾」(ヨゼフ・ジェンマ)氏は3月3日付日記(3/7時点)で以下のように書いている。
http://www.aa.alpha-net.ne.jp/poppyoil/diary2007/d-2007-03-03.html

しかし何はどうあれ、ルフェーブル大司教様はついには、------確かに少し揺れたけれども、ついには------ご自分が破門になる道をご自身でお選びになりました。断固としてお選びになりました。それは一重に聖伝の生き残りを「確実にするため」でした。ネゴシエーションの現場で、大司教様はそれを本当に「確実にする」ものを見ることができませんでした。その交渉に「乗る」ことの危うさを拭いきれませんでした。多くの聖母への祈りがあったそうです。そうして大司教様は決断されました。(この経過を想像して、私は「実にドラマチックだ」と言うでしょうか? いいえ、そんなものは論外です。私の頭はこれでも冷えているつもりです。)その選択において、大司教様は悔いてはおられません。それは彼の子供達である聖ピオ十世会のメンバー達においても同様です。大きな意味においては、この破門は彼らにとって確かに残念なことでした。でも小さな意味においては、それは決して残念なことではありません。彼らの心には、この件に関して聖座に「情状酌量」を乞い求めるような気持ちはないのであります。

「護教の盾」氏は言う。

ご自分が破門になる道をご自身でお選び」
「この破門は彼らにとって確かに残念なことでした

また、当ブログコメント欄にて。
http://d.hatena.ne.jp/kanedaitsuki/20070302/p1
聖ピオ十世会はルフェーブル大司教様の破門を認めています

これすべて虚偽である。

私は既に同コメント欄で次のように述べている。

「破門を認めています」というのは事実でしょうか。SSPXは次のF&Qにおいて、はっきりこう書いてます。

「ルフェーブル大司教は違法な司祭叙階によって破門されたか?」
http://www.sspx.org/SSPX_FAQs/q11_abexcommunicated.htm
>Now, the excommunication warned of on June 17, for abuse of episcopal powers (canon 1382), was not incurred because
>(さて、6月17日に聖職者の権能の濫用に対して警告された破門は生じなかった、なぜなら)
―以下理由を挙げてます。

なるほど「護教の盾」氏は同コメント欄にて、次のようにも言っている。

ただしその出来事をです。聖座からその措置が下されたという出来事をです。
しかし「破門措置の正当性を肯定した」という意味ではありません。私が「大司教様はそれを断固としてお選びになった」というのは、「一つの状況の流れの中で、聖座がルフェーブル大司教様に下すであろう破門措置に対して、その時、それ以上抗おうとはなさらず、それに身を預けた」という意味です。「破門措置の正当性を肯定した」という意味ではありません

これはかなり奇怪な理屈である。私はこう答えた。

そもそも「破門措置の正当性を肯定した」のでないとするならば、それは通常「破門を認めていない」ということです。「その出来事」を認めるのは、狂人でもないかぎり当たり前でしょう。ファクトなのですから。

破門の事実を認め破門の撤回を求めるのではなく、破門自体が生じなかったのだから破門自体が無効だと(実は破門自体の正当性を否定しているのでさえない!)、聖ピオ十世会は言う。「護教の盾」氏の言を正確になぞるならば、聖ピオ十世会は「聖座が破門を下した」という出来事は生じたが、「破門」という出来事は生じなかった、と言っていることになる。もちろん、「聖座が破門を下した」という出来事は「破門」という出来事そのものなのである。
私から見れば、「破門自体が生じなかった」というのは、「太陽は西から昇っている」と言っているのと同様に単に事実に反する命題である。しかし、聖ピオ十世会は実際にそのように主張し、「護教の盾」氏はそれに追随している。

(破門が事実生じていることは、次の文書にて確認されたし。
Decree of Excomunication(ルフェーブル大司教他の破門宣告)
Ecclesia Deiヨハネ・パウロ2世の自発教令))

「護教の盾」氏は言う。

「ご自分が破門になる道を」「断固としてお選びになりました」

しかし、聖ピオ十世会やそれに追随する「護教の盾」氏は「破門」という事実を「断固として」否定している。

「護教の盾」氏は言う。

彼らの心には、この件に関して聖座に「情状酌量」を乞い求めるような気持ちはないのであります

しかし、聖ピオ十世会は現行教会法1323条1324条を駆使して、ルフェーブル大司教の違法行為は、緊急状態のゆえやむをえなかったので、「情状酌量」が当てはまるケースであると弁明している。

榎本俊二の伝説的漫画「ゴールデンラッキー」に、遠山くんというキャラが出てくる。遠山くんは現実が見えていない。それゆえ、上司に「クビだ」と言われても理解できず、その後も何もなかったように会社へいき続ける。

「護教の盾」氏はいったい何を「護教」しているつもりなのだろうか?