尊厳死など

殊能将之氏の日記(2006年11月前半分)より
http://www001.upp.so-net.ne.jp/mercysnow/LinkDiary/index.html

「長期的に見れば、人間は必ず死ぬ」とは誰の名言だっただろうか。

 しかし、死が目前に迫ると、人間はおびえ、混乱し、どうしていいかわからなくなる。医者にも、家族にも、患者本人にも決められない。宙ぶらりんで思い悩むうちに時間がすぎ、徐々にある安定状態に達する(そして死を迎える)。
「臨死」を見て、死ぬためにはこういうむだな時間が必要なんだな、と思った。「わたしはスパゲティ状態で生きながらえたくない。尊厳ある死を迎えたい」などと明確に意思表示できるのは、元気なうちだけだよ。

「長期的に見れば、人間は必ず死ぬ」はおそらくケインズの言葉。事実の指摘であって、哲学的含みはない。
それはともかく、「明確に意思表示できるのは、元気なうちだけ」というのは同意できる。入院時、生きて戻れぬかも知れぬとわかって私が思ったこともこれに近い。
医師の説明により、治る見込みがなくいずれ遠からず死を迎えることがはっきりしたとしても、「尊厳死」なるものをかっこよく選ぶかどうかはわからない。一縷の望みをかけて、延命治療を続けてもらうのではないか。不治と診断された病気が奇跡的に回復することも稀にはある。それがどんなに小さな率だったとしても、それにすがるのではなかろうか。とりわけ平均寿命をはるかに下回る年齢においては。「尊厳死」には何かうさんくさいところがある。