観念に萌える奴ら

稲葉振一郎さんが紹介していた文章にやや受け。
http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20051218

「古賀徹 哲学

 「単に生きるのではなくよく生きる」この命題を巡って二つの見方が対立している。一つがギリシャ哲学の大家、岩田靖夫の『よく生きる』(ちくま新書)であり、もう一つがオタク男を自認する本田透の『萌える男』(同)である。

 孤立の時代になおよき生を得るには、前者は自己保存を克服し他者に贈与せよと説き、後者は幻想世界を構築しそこでエロス欲求を脳内的に充足せよという。哲学者は無論、オタクの妄想他者なぞ断固許容しない。

 しかし問題は、妄想を排して他者そのものに向かえという哲学自身の妄想的本質にある。オタクが「メイド」なるキャラに「萌え」るように、哲学者は「他者」なる概念に萌え萌えである。両者は現実世界からの逃避形態であり、その証拠にオタクと哲学者の外観は驚くほどよく似ている。コアな同人誌もたくさんあるぞ。」

私はかつてデリダを研究したことがあるが、デリダタームを考えなしに使ってる連中を心底軽蔑していた。ただ、そういう反発もまた、哲学屋特有の態度かとも思う。ちなみに卒論テーマはデリダからアイドルへと転向している(笑