八木秀次『本当に女帝を認めてもいいのか』★★★★

kanedaitsuki2005-12-10

女性天皇反対論についてコンパクトにまとめたスタンダードな本。反「男系維持」派も、男系維持の理屈を知るうえで有益だろう。中川八洋『皇統断絶』を合わせ読めば、女性天皇反対論の十分な知識を得ることができる。
ところで、八木氏といえば、ネット上では「Y染色体」論を広めた人物として賛否両論聞かれる
たとえばAmazonの書評に以下のようなものがある。

ここまで女性を侮辱した本があるであろうか, 2005/07/30
レビュアー: カスタマー (東京都)

「本当に女帝を認めてもいいのか」という刺激的なタイトルから、手に
とって見ましたが、根拠となる内容がY染色体の継承のみ、いったい
著者はY染色体の何の価値を持って女帝を反対しているのであろうか?
それこそ、天皇をただの人間扱いしているのではないか?

「根拠となる内容がY染色体の継承のみ」などと言っているが、この本では「Y染色体」論を前面には押し出していない。全部で189ページのこの著において、Y染色体論に割いているページはわずか4ページちょっとである。その直前で八木は次のように述べている。

百二十五代の皇統は一筋に男系で継承されてきたという事実の重みは強調してもしすぎることはあるまい。百二十五代の長きにわたって一貫して男系で継承されている皇統を、たかだか現在生きているに過ぎない現代人がその浅はかな知恵で簡単に女系に移行させていいものかと思う。
私はエドマンド・バークを始祖とする保守主義者を自任しているが、保守主義の中心原理に「時効(プレスクリプション)」というものがある。時間の効力というほどの意味であるが、幾世代を経て継承されてきたものは、その時々の数多くの人々の慎重な判断と取捨選択の末に残ってきたものであり、それゆえに「正しい」ということである。皇位継承の問題で言えば、百二十五代にわたって、唯の一度の例外もなく、苦労に苦労を重ねながら一貫して男系で継承されたということは、これはもう完全なる「時効」と言うべきものであり、動かしてはならない原理と言うべきものである。何も保守主義の立場からの説明をする必要はないが、それだけ百二十五代の積み重ねは重いということである。
それを現代人の考えで簡単に変えるのは歴史の軽視であり、冒瀆ではないかと思う。われわれの世代が判断を間違えれば、われわれの祖先たちがこれまで苦労に苦労を重ねながら継承してきたものを変質させることになるかも知れないし、将来に取り返しのつかない大きな禍根を残すことになるかも知れない。その意味では現在のわれわれの世代の判断が極めて重大なものであることをよくよく自覚する必要がある。

八木秀次『本当に女帝を認めていいのか』、洋泉社新書、2005年、pp74-75

いささか長く引用してみたが、八木の立場がはっきりする文章であり、基本的に「男系継承」が時効としての伝統であるがゆえにその維持を主張しているのだということは明らかである。そもそも「Y染色体」論は男系継承の意味を合理的(科学的)に説明するひとつの手段として持ち出されているだけであって、Y染色体をもって皇位の正統な継承者なのだなどという馬鹿げたことは一言も言っていない。「女系」より「男系」の方がより血筋の承継的意味を強く持つ、という程度のことなのだ。それゆえこの部分のみを叩くのは、筋違いであって、あまり意味がない。Amazonのレビューというからには、この本を読んだには違いないのだろうが、「Y染色体」論の直前に書かれた文章すら読み落とすほどの斜め読みだったのだろうか。

ところで中川八洋は『皇統断絶』で「養子論」を主張していることをもって八木を批判している。しかし、八木は皇統継続の手段として、
旧皇族復帰
②養子採用
女性宮家を創設しての旧皇族入婿
の三つを挙げ(同書pp122-124)ているが、これは「優先順位」である旨も述べている。つまり本道は「旧皇族復帰」であって、その点では中川の主張と一致している。優先順位を附与しているのに、なおかような批判を浴びせるのはいかがなものか。養子論を口にするだけでもいけないというならば、そもそも八木は「男系継承という道を探して、万策尽きた場合には女性天皇女系天皇もやむを得ないと思う」(同書p75)と言っているから、「八木は女性天皇を認めている!」と噛みついてもよさそうなものなのに、中川はこれについてはまったく触れていない。私から見ると中川と八木の基本スタンスにはそれほど大きな差異はない。中川の方がやや原理主義的であるが。

八木の指摘でもっとも重要なのは、おそらく「皇統はロイヤルファミリーの私物にあらず」ということであろう。

おそらく「皇統」とは現代の私たちが考えるよりも遥かに広い概念なのであろう。伝説上の天皇である神武天皇以来の男系の血筋が「皇統」なのであり、「皇統」はその時々のロイヤルファミリーの独占物ではない。その時々の天皇の近親に男系男子が恵まれなければ、別系統の男系の血筋にお返しして、そこから次の皇位継承者を得るべきである。「皇統」とはそういうものである。また、そう理解しなければ、これまで繰り返し傍系や遠縁から皇位が継承されてきたことや南北朝の合一も説明ができない。

同上、pp72-73

旧皇族復帰の正統性がここに見出される。実際、今上天皇は、江戸時代後期に傍系として皇位につかれた光格天皇を祖とする系統である。傍系に皇位継承の資格がないならば今上天皇の正統性も怪しいということになってしまう。
男系維持派の中には、この際天皇の大御心を待つという世迷言を説くひとがいるようだが、祖法(皇祖皇宗の遺訓)は国民の意志のみならず個人としての天皇の意志の上位にある。それだからこそ、これまで直系主義にこだわることなく「万世一系」を保つことができたのである。
他にも紹介すべきところが多いが、とりあえずこのあたりで筆を置く。機会があれば、あらためてそのつど取り上げることにする。

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