皇紀2646年のマリリンマンソン

桶谷秀昭の名著『昭和精神史』に、皇紀についてこう書かれている。

皇紀二千六百年といふ考え方が、そもそも文明開化の産物だつたのである。明治五年十一月十五日の太政官布告で、「神武天皇御即位を以て紀元とす」と定められた。この紀元制定の生みの親が津田眞道で、彼は徳川幕府第一回の留学生としてオランダのライデン大学法律学を修めた。その折にキリスト紀元といふものを知り、これがいかに便利なものかといふことから、元号を廃して皇紀で統一すべきことを建議した。元号は廃止にならなかつたが、一世一元制になつたのは津田の建議のせゐである。これも一種の西洋模倣であらうが、皇紀紀元は一般に定着しなかつた。
(『昭和精神史』新潮文庫皇紀2656年、p430)

西暦にヒントを得てこしらえられた、ということからすると皇紀を使うことは右翼的でもなければ伝統主義的でもないということか。一般に定着しなかったことからしても、「皇紀」は「創られた伝統」ですらない。
皇紀2600年」と聞くとまっさきに私が思いつくのは「零戦誕生の年」です。