エーリッヒ・アディッケス『カントと物自体』

カントが物自体の存在を確信していた、という主張は特に珍しくないが、物自体にもカテゴリーは適用可能、というのは虚をつかれた。ただ、訳者も指摘しているとおり、「存在」の意味について、あまりつきつめられていないのが難。物自体の「存在」といっても、この「存在」とは、いわゆる外界の事物の「存在」とは意味が異なろう。なんとなれば、物理学の対象としての物質は、カント哲学からすれば、「物自体」ではなく、まさしく(認識可能な)「現象」だからだ。とはいえ、現象の秩序と物自体の秩序にはなにかしら相関がある、とカントが考えていた、ということはありそうだ。現象界と物自体界が完全に二分するのは、カントの本意ではないはずだから。
それはそれとして、これを読んで、ショーペンハウアーが物自体と意志を置換したのも、あながちおかしなことではないのだなあ、と思うようになった。また『意志と表象としての世界』も再読してみるか。
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