今さらですが

吉祥寺宮杉本殿下が聖ピオ十世会小野田神父のエキュメニズム批判を虚仮にされているのを見かけた。
http://blog.livedoor.jp/mediaterrace/archives/50891144.html

教皇は過ちを犯さない。(聖ペテロの継承者、ローマ教皇の不可謬性)

 Extra ecclesia nullus salus  カトリック教会の外に救いはない。

 という非常に古い観念をそのままに今も生きている、脳細胞が固まったような人たちはカトリックにも存在しており、カトリックを叩き出されたルフェーブルを今も信奉する聖ピオ10世会の自称、「司祭」たちは大間違いのエキュメニズムなどたくさんだ、と扱き下ろしている。

以前当ブログで取り上げたように教皇不可謬権」も「教会の外に救いなし」も、公式のカトリックの教義であって、別に聖ピオ十世会に特異なものではない。嘘だと思うならばCCC(カトリック教会のカテキズム)を見よ。それにいちいち言うまでもないことではあるが、教皇不可謬権」は「教皇は過ちを犯さない」という意味ではない。ところで聖ピオ十世会の「司祭」は自称なのか。ローマから離れても、(少なくともそれ以前になされた)叙階は有効のはずだが。

Extra Ecclesiam nulla salus 教会の外に救いなし、再び
教皇不可謬説について

彼らはヨハネ23世やヨハネパウロ2世を徹底して嫌い、否定しているが、現在の教皇、ベネディクト16世については熱烈に支持している。あの精神貴族を気取ったベネディクト16世については顔も見たくないという私とは正反対である。

私の記憶が確かならば、聖ピオ十世会は「教皇空位論者」ではないから、各教皇教皇としては敬意を示しており、「徹底して嫌い、否定している」というのは当らない。また逆にベネディクト16世について、小野田神父は「批判的」記事も書いている。吉祥寺宮杉本殿下はこの点で勇み足をされているのではなかろうか。

好きにしてくれ

会社と折り合いがつかずいらいらした。先行き不安だが、とりあえず薬の投与が完全に終了するまでは何もできない。

そういうときには、ささやかな外部的な仕事に逃れ、よい行為によってまた元気を取り戻すのがよいことだ。そして私の到来、天よりの訪れを、確固たる信念をもて待望するがいい。お前の、追放の身の上や、荒涼とした気持を、辛抱づよく堪え忍び、私がまた再びお前を訪ね、あらゆる憂悶からお前を解放するまで、待つのだ。


『キリストにならいて』第三巻第五十一章「立派な仕事をする力を欠くときは、つつましい仕事に出精すべきこと」