「随想 吉祥寺の森」を応援する

「随想 吉祥寺の森」さんからトラバがかかっていた。といってもこちらではなくあちらである。内容は私とも因縁深い「頬白親父」さんのことで、コメントやトラックバックの対応についてはまったく同感であるので、この点については陰ながら応援したい。
http://blog.livedoor.jp/mediaterrace/archives/51593840.html

ただ「シナ」の呼称問題については、私は「吉祥寺の森」さんにも「頬白親父」さんにも同意しない。
まず、「シナ」という言葉自体は差別用語ではまったくない(たしか中国学者高島俊男さんが文献的に立証している)。「China」や「Chine」が許されて「シナ」が許されないというのは、むしろ日本人差別と言える。 
「吉祥寺の森」さんは、


「「中華」の語も傲慢だというならば、彼は「中華料理」ともいわないのであろうか。」
http://blog.livedoor.jp/mediaterrace/archives/51593049.html


とうまいことを言っているが、それなら同じように「支那そば」や「シナチク」は差別的でいかんということになるまいか。「東シナ海」は「中華人民共和国」とでも呼ぶべきなのか?
その一方、「中国」とか「中華」は自己賛美した言葉だから使うべきではない、というのも変な理屈だと思う。相手の美称を使って日本人にとって何か困ることでもあるのだろうか。日本の「中国」地方と区別がつかないという人もいるが、通常文脈で分かるし、どうしても分からない場合は註釈をつければいいだけの話だ。混同しやすい言葉なら他にいくらでもある。
「頬白親父」さんはどうか知らないが、保守系の方々の中には、韓国のマスコミが「天皇」を「日王」と書くのがけしからんという人がいる。「天皇」はEmperorであってKingではない、それゆえ「日王」は侮辱であるというわけだ。そういう人は、それなら中国も「中華」と称すべきであるはずだが、なぜか「シナ」と呼びたがる。ダブルスタンダードではないか。
私自身は(思想的には保守シンパだが)原則「中国」と言っているし、もちろん「中華」も使う。その一方、「支那事変」をいちいち「中華事変」と言換えたりはしない(たとえば歴史を叙述する際、「支那方面軍」を「中華方面軍」と書き換える頓馬はいまい)。要するに、時と所に応じて使い分けているし、それでいいのだと思っている。